OJISANの読書録

『井伊直弼の首』新潮新書

 著者は野口武彦氏。副題に「幕末バトル・ロワイヤル」とあって主題の井伊直弼のことばかり記述した歴史評釈(歴史評論?)ではない。むしろ井伊直弼出現に至る幕末の諸現象と人間模様をバトル・ロワイヤルとして捉え、評釈を加えた本と思う。ただ全ては井伊直弼のクライマックス(桜田門外の変)に収斂されていくのでどうしても主題は「井伊直弼」になる。

 著者は幕末の政治・経済・社会・人間の動きについて特に新奇の説は唱えない。斜めにも構えない。もちろん裏読みもしない。事象の定説に忠実であるから安定感がある。ただ、もろもろの事変や登場する歴史的人物についての記述に当時の名も無き人々の実見談、感想記を引用、多用しているのでちょっと横から見ている気分を感じる。横から見ているだけで事実は変わらなくても歴史というのはこんなにも変わって見え、ある意味生き生きとしてくるものなのかと思うのである。歴史はこんな風に楽しくなくてはいけない。「幕末バトル・ロワイヤル」の副題は実にいい。

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『大統領の料理人』KKベストセラーズ

 book 副題に「厨房からのぞいたホワイトハウス11年」とあって、1994年から2005年まで、ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフを勤めたウォルター・シャイブの回想記である。

  シャイブ氏は、ホワイトハウスにおいてクリントン及びブッシュの両大統領に料理人として仕えた。なかでもクリントン時代を懐かしく回想している。なぜならシャイブ氏はヒラリークリントン夫人に面接され、その結果採用されたからである。野次馬のOJISANも含めて読者としてはホワイトハウスにいたと言えばまず語ってもらいたいのは、ホワイトハウスの政治の秘密と主人たちのスキャンダラスな生活の暴露である。特にクリントン大統領はその種の話題を豊富に作り出したことが知られているので期待していた。しかし、この本でシャイブ氏が徹頭徹尾語るのはホワイトハウスでの料理であり、料理にまつわるホワイトハウスの内情である。シャイブ氏は冒頭で「自分は政治には世間並みの知識・興味しかない。住人のプライバシーも語ることを好まない」と書いて読者に引導を渡している。

  最初の宣言のとおりシャイブ氏は、大統領とその家族の内情は書かない。書くとすればほほえましいアメリカ型スィート・ファミリーの側面だけである。その意味でシャイブ氏の人柄の良さが分かる。たぶんヒラリー・クリントンの採用条件には「口の堅さ」も入っていたのであろう。この本の面白いところはホワイトハウスで作られた料理のレシピが紹介されていて、あなた達にもホワイトハウスで出され、「大統領と家族の食べているものと同じ料理が食べられますよ」という配慮がなされていることだ。これもたぶんシャイブ氏の人柄によるものと思う。また、シャイブ氏は自分の仕事を書くだけでなく、自分の家族のことも暖かく、何気なく書く。これも家族を大切にするアメリカ人を体現していて好ましい。

 9:11のときのホワイトハウスの緊迫したありさまも書かれている。ホワイトハウスの管理責任者や警備担当者でなく、一従業員の目で見た混乱の観察であって、内部の危機管理が実際はどうであったのかよく分かり興味深い。でもホワイトハウスでは緊急の際にはみんな地下の秘密基地に避難するのかと思っていたらそうじゃなくてバラバラに外に逃げ出すなんて面白くも何ともない。なんとかしないと一度あることは二度あるよ。油断大敵run

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『なぜ君は絶望と闘えたのか』・・本村 洋の3300日・・新潮社

 光市母子殺害事件の公判があるたびテレビのニュースに取り上げられる本村 洋さんの発言を聞き挙措動作を見ていた。そして、家族愛と正義の名において厳格な法の裁きを要求する論理と姿勢をOJISANは本当に立派だと思った。この人の考え方や姿勢をつくったのは残念ながら妻と子を殺害され、犯人を裁く裁判の過程が大きな要素となっていると思うがそれだけではあるまいという思いがあったのでますますこの人は何者なのか知りたかった。

 この本を読んで分かったことだが、本村 洋さんは高校時代から人生を変えるほどの病気と戦ってきていたのだ。OJISANであればそれだけでそうとうメゲた生き方をしただろうが彼は立ち直っただけでなく妻子を殺され、理不尽と思われるような司法による犯人擁護と戦う力まで蓄えるに至った。しかし、それは結果論で本村 洋さんは鉄の男ではない。絶望して死を考えたことも幾たびかあったようだが、周囲が彼の絶望を癒し、支えたからこそ力を蓄えたとも言える。少なくとも本村 洋さんには周辺の人々が彼を支えてあげなければならないという思いに駆られる人間的魅力があった。

  徒手空拳に近い本村 洋さんの戦いが人間的で雄々しいものだったのに対して、いわゆる司法の専門家たちの動きは空疎だった。裁判官の犯人に対する形式的な人間把握、専門性の感じられない相場主義の判決、そして、なかでも信じられないような弁護士の弁論は、従来の「弁護士は正義の味方」という期待を裏切るものだ。ある時点から弁護士たちは完全にしろうとの本村 洋さんに負けていた。弁護士たちには、勝つためには極端に事実をねじまげ詭弁を弄し、死者を冒涜するがごとき弁論も許されるのだとする傲慢が見え見えだった。大目的は被告を死刑から救うことだったためだと思うが、この事件公判の経過が影響したことは確実で日本の死刑廃止運動はかなり後退したものと思う。それとも、あの弁護士たちは「死刑制度のかくれ支持者」で死刑制度を維持するためその活動は被告の命をかけた高等戦術だったのだろうか。

 

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『ヒトラー・マネー』講談社

book 第二次大戦中のナチス・ドイツによる偽金づくりの話。スリルとサスペンスよりも偽金づくりを成功させるために優れたマネジメントをしたひとりのSS少佐の動きを中心としたドキュメンタリーである。

 近代以後の戦争は国家総動員戦だ。何でも有りだ。それぞれ戦争の大義は我に有りとふりかざすが、内実はなりふり構わない大陰謀、大量殺戮、大破壊の連続だ。道徳とか正義とか騎士道(武士道も?)が顔を赤くして逃げ出す始末である。
 敵国の偽金をつくってばらまいて経済を大混乱させ継戦能力を喪失させようというアイデアなど戦争当事国としてはすぐに思いつく。だが、実行となると躊躇する国もある。この本によれば、アメリカではかのノーベル文学賞作家のスタインベック氏がライヒス・マルクの偽金を作って戦争に勝とうという提案を大統領にしたが、検討した結果(たぶん犯罪行為だと判断したのだろう)却下された。そうだよね。これで戦争に勝ってもそれ以後偽金づくりは犯罪じゃなくなる。だって大統領自ら偽金を作っていたなんてことになったら、たとえ戦争だったからといういいわけも空々しいかも。

 ところがナチス・ドイツは違った。指導者連中は歴史の事実が示すとおりきわめつけの犯罪者集団だったから偽金づくりなんかぜんぜーん平気。(日本軍はなぜやらなかったのだろう。きっと想像力が足りなかったのだ。第二次大戦中日本軍は一貫して想像力が不足していた。)いかにして本物そっくりのイギリス・ポンド札をつくるかとすぐさま作業にとりかかった。最初の偽札はうまくいかなかった。マネジメントがアバウトだったからだ。次にヒムラーからマネジメントを命令されたベルンハルト・クルーガーは有能なマネージャーだった。絶滅収容所内に偽金づくり工場をつくり完全な隠蔽工作に成功した。だってこの収容所を出られるのは死人だけだったから。
 偽金づくりをする人材はユダヤ人、捕虜などからリクルートした。これからが大事なのだがクルーガーはそれらの人材を人間的に扱った。そのことで意欲と才能を引き出した。そこらへんのクルーガーとユダヤ人たちのかけひきが実に面白い。もっともユダヤ人や捕虜たちは命がけだから面白いどころではないが。

 結局のところ、ベルンハルト・クルーガーとそのグループは本物のポンド札より本物の札を作り上げてしまった。それを各地で大量にばらまいたらしいがあんまり大騒ぎにならないうちに戦争はドイツが負けて終わってしまった。イングランド銀行は偽札に気がついて大騒ぎしたようだが、世間にはあまり広まらず収束してしまったようだ。本物を作っちゃダメだよクルーガー君。
 最近キム・なんとか君が偽金を作っていたらしいともっぱらの評判だが、これからの戦争では偽金づくりは古典的戦術になりつつある。特にドルはダメだ。アメリカ人は小切手ばかり使うからだ。これからはなんといってもコンピューター・ハッキングによる撹乱戦術が主流になるだろう。ちまたでは影の戦争はすでに始まっているといううわさもある。
 自分の部屋でひとり平和にシコシコ楽しんでいるハッカー諸氏が大量動員される日がいつまでも来ないことを祈るのみである。

 

 

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『サブ・プライム問題とは何か』宝島社新書

 題名のとおりいったいどんなことなのか無知なOJISANにぴったりな解説書だと思い読んでみた。OJISANはそもそも「プライム」の意味さえ分からなかった。上級とか一流の意味だそうだ。サブとはその次の意味で「一流の次のローン」というわけだ。分かったかな?この受け売り自体が間違っているかもしれない。OJISANは責任が持てないので油断しないように。

 サブ・プライム・ローンは初め善意から始まった。本来は新築の家など購入できそうもない階層の人々に家を手に入れてもらおうと政府の肝いりで補助あり、モラトリアムありという形で金がない人でも時間をかければ何とか借入金を返せそうだというローンである。その背景にはアメリカの住宅はそこに住んでいるうちに値上がりするという神話があった。日本では新築の木造住宅などローンを払い終える30年が経つころほとんど無価値扱いである。ところがアメリカでは中古の家でも購入後住みながらDIYで住み心地や見た目をよくして、売るときには買ったときより高い値段で売れるというのが(今までは)常識だった。だから万が一人生計画がうまくいかなくてローンが払えなくなっても家を売り払えば悪くても収支トントンという計算が成り立っていた。

 銀行はそういう神話とアメリカ的楽天主義でどんどん貧乏人に家を買う金を貸した。危なくなれば家を取り上げればいいのだ。取り上げた家は高値で売ればいい。そしてさらにどっかの頭はいいが倫理的には問題含みの知恵者が考えたのだと思うが、取り上げたたくさんの家を債券の束にして国内や国外にロー・リスク、ハイ・リターン商品として売り出した。それを儲けのタネとして買った金融機関が世界中にいっぱいあった。ところが、家は、つまり債券は値上がりしなかった。そして一つの破れ目が全体の信用を破綻させた。アメリカ、ヨーロッパの金融界はいまガタガタだ。これがサブ・プライム問題だ。どうだ分かったかな?無知な者ほど人の言葉を借りてエラソーなことを書く。つまりOJISANのことだ。

 OJISANは少ない脳みそをかき集めて考える。サブ・プライム問題は資本主義の悪いところがむき出しになった問題だ。今から15年くらい前には資本主義の対極として共産主義があった。お互いに相手のイデオロギーを攻撃するとともに自分の欠点を隠しイデオロギーの良さを宣伝した。それぞれそれなりの政治、経済、倫理的自制が働いたはずだ。そして結局理想と現実と自制と倫理の乖離があまりにもはっきりした共産主義は破れた。そうすると勝った資本主義も欠点がうごめき出す。資本主義の最大の欠点は貧乏人をいじめることだ。金儲けのいちばんオーソドックスな方法は貧乏人から搾り取ること。だが今回はやりすきた。自ら落とし穴に落ちてしまった。ざまーみろ。貧乏人万歳!というほどでもないか。とにかく、はい上がるのに時間がかかりそうだという予測がなされている。

 さて、日本はどうかというとバブルがはじけて金融機関がボーゼンとしているうちだったのでサブ・プライムに乗り切れなかった。それが幸いして傷はそんなに深くないようだが、似たような現象が深く静かに始まっているかも。と著者の春山昇華先生は警告している。

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『アウトレット・ブルース』ぴあKK

 子供の頃から決めたコースのように極道の世界を突っ走った。若いなりにその道を極めて刑務所生活を送ったと思ったら一転して堅気の世界に戻った。勉強して大検資格をとり、大学法学部まで卒業した。そんな著者川村 勝と支え合った友達のノン・フィクション青春グラフィティ。

 冒頭数ページの印象を書こう。第一章は5ページしかない。乾いた簡潔な表現で自分と友人たちの状況と心情の有りようを巧みに表現して惹きつけられる。OJISANに文章を云々するほどの力はないが、この著者の才能を感じた。二つ目は、冒頭から著者は自分を「ボク」と書く。読みに入る前に表紙の写真や見ひらきの写真で厳つい顔と二の腕の刺青を見ているからこの「僕」は、なんか場違いで間違ったんじゃないのと思わせられるような違和感を覚える。著者も当然意識したらしく、あとがきで「僕」と書く自分の思いを説明している。この本はこんな特徴から始まる。

 偶然かもしれないが、華麗?なやくざ稼業から足を洗って作家として大成した「塀の中の懲りない面々」の安部穣二とこの本の著者に共通点を感じる。まず安藤組組長安藤 昇にあこがれて中学生の頃から任侠団体に加わった安部穣二と中学生から荒れ始めて注目されその稼業の人からスカウトされた著者。そしてたぶん二人ともどちらかというとその稼業世界では武闘派のようだし。やくざ世界の隠語とユーモア、刑務所世界と人間関係、懲役生活のあれこれ。もしかして著者は先輩安部穣二に影響を受けているのかもしれない。しかし、二番煎じではない。影響を受けていたとしても著者は自分のスタイルをすでに生みつつある気がする。違っているとすれば顔つき。安部穣二は「いかにも」と思う顔で固定してしまっている。著者はまだなりきれない純粋なところが残っているようで中途半端だ。これはまあその世界での修業年限の差かもしれない。ただ、都会的なスマートさは安部穣二にはかなわないと思う。

 OJISANが子供の頃その世界に入っていった友達がいた。道でたまたま会ったとき立ち話をした。彼は、いくら稼いだ。こんな生活をしている。こんどこんな事業をやる。と吹きまくっていた。いくらボンヤリのOJISANでも高校生ぐらいの歳でそんなのありもしない大言壮語だと分かっていたから調子を合わせながら黙って聞いていた。横を兄貴分らしい人が通ったらあっというまにその人のところに行ってペコペコ頭を下げていた。あんまり偉くなったとは思えない。今はどうしているだろう。どんな仕事でもそれで生きるってのは大変なことだ。

 

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『おひとりさまの老後』法研

 男が恐れるという評判の東大教授上野千鶴子さんが書いたというのでOJISANは素直に恐る恐る読んでみた。著者に対して興味津々と言うだけではない。最近はやりの「女性の老後」というやつにどんなご意見をお持ちなのか。はたまた、男どもにも結構読者がいるという書評を読んで老後の真っ最中であるOJISANにも役立つのではないかという非常に前向きな気持ちから読んでみたのである。ついでにどのくらい前向きかというと、いつもは図書館で新刊を借りて済ましているOJISANがお金を出して買って読んだというぐらい前向きなのである。

 男に対して冷たい(と感じてならない)著者はとりあえず男は蹴飛ばしておいて、長生き女性の立場に立って老後のシングル・ライフを実のある時間にするためのノウ・ハウをまとめている。これはOJISANも役に立つ。まず「一人で暮らす」選択を推奨する著者に同感する。もっともOJISANはだれも相手にしてくれないのでやむを得ずだが。次にどこで暮らすかを各種取りそろえて紹介している。OJISANのねらい目は最晩年は介護つき有料老人ホームなので、そこで暮らすためには諍いを起こさないための訓練が大切であると自覚している。昨年はその年の第一生活目標を「怒らない・怒鳴らない」としたのだが、何としたことか今までにないぐらい諍いしまくってしまいこれではホーム入所は危うい。

 第3章は「人とのつきあい」である。要するに頼りになる、楽しくメシを食べられる友達をたくさんつくれということである。OJISANには無理なので斜め読みして飛ばした。金の問題、介護の問題、みんな女性だけの問題ではない。このあたりはごく普通のノウ・ハウだ。でも老後の生活に備えるOBASANからすると同じOBASANでも上野千鶴子さんなんて「雲の上野人」だよ。「300万円生活」で名を売った森永卓郎と同じ。貧乏生活を勧めておきながら自分はハイ・クラスなんだから。

 文句はそのくらいにして、最後に著者が「孤独死何が悪い!」と書いたのには感銘を受けた。OJISANは孤独死確実だからである。そのつもりでもうちゃんと準備していて、もしなんか間違って孤独死をしないことになったらちょっとかっこわるいぐらいなのだ。OJISANを感激させたということは、社会の趨勢を著者が読みきっていると言うことである。これだけでも著者が社会学者としての卓見を持っていることの証明になる。ただちょっと気になるのは死に方まで指示されている気分になることである。この感覚はOJISANが男だからであろうか。

 とにかくこの本は良い本だ。私と離れて楽しく暮らす妻に送って読ませてやろうと思っている。

 

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『私と20世紀のクロニクル』中央公論新社

 アメリカの日本文学研究者ドナルド・キーン氏の日本文学研究の道筋と多彩な交友録からなる自叙伝。OJISANは日本人以上に日本を知る学者という程度のとらえ方しかしていなかったがこれはとんでもなく失礼なことであった。この本を読むとキーン氏の学識・博識はもっと奥が深く、人間的魅力に富む人であることに気づかされる。

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『兵士になれなかった三島由紀夫』小学館

 「兵士を見よ」「兵士を追え」「兵士に告ぐ」シリーズで自衛隊の過去・現在および隊員たちの生活と意見をまとめた杉山隆男の著作。その著者がこのシリーズの原点となったのは、もともと三島由紀夫その人にあったと説明する。

 「ミシマ」のことを追究すればするほど自衛隊に突き当たると言うことである。ノーベル文学賞候補として当時世界的には川端康成よりも知られていた三島由紀夫がしだい自衛隊に傾倒していく姿を関係者からの豊富なインタビューによって捉え、三島由紀夫と自衛隊の関係、さらには自爆同然の死を遂げるまでの最後の日々を自衛隊員の目を通してまとめた書である。

 ひ弱な耽美主義の天才三島由紀夫が、いつのころかボディ・ビルや剣道にのめり込み武闘の集団自衛隊にたどり着いたのは単純に言えばひとえに「強さ」への憧憬ではなかったか。思想や精神も変容が現れ、「憂国」の思いにたどりつくのも同じ時期である。

 では、自衛隊は三島由紀夫にどのような部分で影響を与えたのかというと組織ではなく、そこに存在した人間つまり隊員たちの人間性そのものだったのではないかとOJISANは思うのだ。長い間「日陰者」の存在として屈折しながらも日本の安全という大義を胸に、役立たない方がいいという武力を日々養成する隊員の生活のあり方は三島由紀夫の強靱な肉体づくり、剣の道に精励することに通じるものがあったのではないかと思うのだ。

 三島の変容を意味づける右翼的なような、皇道主義のような思想は古くて貧弱に思え、しかもよく説明されないように思われ単純なOJISANにはとても理解できない。実生活者としての自衛隊員も同じであったろう。普通の自衛隊員は芸術家として三島由紀夫を尊敬し、自衛隊の理解者として三島由紀夫を歓迎したのだ。今日三島由紀夫が尊敬される側面にこの思想の部分はないと思う。三島由紀夫は芸術家として敬意を払われているのである。

 著者は高校生の時三島由紀夫を間近に見たことがあると書いている。実はOJISANも高校生の時映画館で見かけている。母に連れられて新宿の映画館でイングマル・ベルイマンの映画を見に行ったとき上映の寸前母が「三島由紀夫がいるよ」と言って三列前の座席を示した。見るとやせて小作りな男の横顔が見え、雑誌などに載った三島由紀夫の写真と同じだった。ただそれだけ。小さく弱々しそうに見えたのはまだボディ・ビルなど始める前だったのだろう。映画は恐ろしくつまらなかった。なにも覚えていないが三島由紀夫のことだけは妙に覚えている。

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『信長は本当に天才だったのか』草思社

★『信長は本当に天才だったのか』草思社 07・10・31                    ☆希代の戦略家 、歴史を変えた(創った)英雄として讃えられる織田信長の定説を全く逆の見地から批判検討した書。著者は工藤健策。

 最近、偶然織田信長に関する著作を二冊続けて読んだ。これはそのうちの一冊。二冊に共通しているのは織田信長が人々の期待する英雄像に反して、人間的に問題があって、ほとんど狂気に近い人物であったと主張している点である。従って全く人心を掌握しておらず、特に周辺の人々は信長の言動に戦々恐々としており、彼を取り巻く人々の間でも犠牲者が多いことから、いつか恐怖のあまり信長を裏切る人物が現れるのは当然の帰結であるという見地から数々の証拠を並べて「墜ちた英雄」の姿を描いて見せている。

 織田信長というと戦国の封建領主という枠を越える、東洋・西洋との接点に位置したかもしれない人物としてとらえ、さらには近代的な合理主義者のイメージまでもたれているが、OJISANはそんなに時代の枠を打破できたとは思えない。その事績をたどると確かにそれまでの日本人とは毛色が変わっているが、信長自身が自覚的に変革を思考していたのかというと、実はそんなことは全くなくて、信長個人の性格がたまたま当時の日本人の言動と違っていたので異色に見えるだけなのではないか。

 ステレオタイプとしての日本人像からすると信長は反日本人的といっても良いと思う。その個人的歴史は、気まぐれ、猜疑心、狂気、残虐、エゴに彩られている。本書によれば英雄として世に出る「桶狭間の戦い」にしたって偶然の産物のようだ。その後の信長のしかけた戦いだって拙劣な戦術で負け続けている。本来は英雄として世に現れるような人物ではないとも思える。しかし、偶然すべてがうまくいってしまい信長のような人物が現れてしまったとも思えない。やっぱりそこには織田信長の判断、意思が反映され、ただ者ではなかったと思いたい。歴史上の人物についてはいろいろな見方が現れるけれど織田信長は謎の多い人物として「再検討の魅力」がある。

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『ロシアのジョーク集』東洋書店

★『ロシアのジョーク集』東洋書店 07・9・30                                ☆副題は「アネクドートの世界」著者は佐藤好明。ロシア人は世界一好人物が多くてもてなし好き。でも、鈍重で不器用というイメージを持っていた。そのイメージを吹き飛ばすロシア人の明敏さをジョーク集は示す。同時に大笑いして抑圧は吹き飛ばすが、なかなかのずるさも感じる。そんな今までにないロシア人像を表すジョーク集だ。

 OJISANがいちばん面白いと思ったロシア・ジョークはソ連時代のものだ。~男A「ブレジネフはバカだ。」男B「シッ!聞かれたらどうする。国家機密を漏らすな!」~というやつ。なにごとも秘密主義の体制を皮肉り、笑い飛ばす明るさを感じる。こんなのはおもしろさがすぐ分かるが、著者が数多く挙げたアネクドートの中には、社会・時代背景を説明してもらわなければ分からないのもたくさんある。読んでも「あ、そう」程度だ。国民性を知るのは難しい。でも、すぐ分かるアネクドートがある。シモネタ話である。男という奴はどこの国でも同じようなものだ。ちょっと哲学的でなるほどと感じるのが、~「女は男が変わるだろうと期待してお嫁に行くが、男は変わらない。男は女が変わらないだろうと期待して結婚するが、女は変わる。」~というアネクドート。これなんかソクラテスのことばにしてもいい。もちろんバツイチ一歩手前のOJISANなんかには重く響く。「ロシアのジョーク」という限定付きで紹介されるくらい世界中に親しまれるのは、それだけロシアに問題が多いのかと言うことも言えるが、ロシアは知的なことばの文化が人々に浸透していると言うことでもあると思う。なにせ、ドストエフスキーやプーシキンやトルストイを生んだ国だから。

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『ウンコとシッコの介護学』雲母書房

 介護世界の基本である排泄の諸問題とその対処法を経験と研究思索から説く。著者は三好春樹氏。2005年5月に発行された本である。

 第一部第一章30頁ぐらいまで読んだだけで、これは最近希な名著だと感じた。2005年に発行されている本書を読んで何を今頃感銘を受けたなどとたわごとを言うのかと言われればそれまでである。言い訳するがまだ知らない人の方が多いに違いない。だが、日本の介護の分野で働く人たちが著者の名を知らなければそれはもぐりである。それほど著者は各地で講演を行い、聴衆に多くの感動と勇気を与えてきた。テレビ番組にも出るようになった。すなわち聴衆とは主に介護関係者であり、テレビ番組とは介護関係の番組である。多くの人々にとってまだ無縁な世界と思っている分野である。残念なことにそういう人であることをOJISANは最近になって知った。しかし、いずれ専門分野の人々だけでなく、多くの人々にその活動と人柄が知られるようになるに違いない。

 OJISANは母が88歳、少しおもらしをするようになってきたので気になっていたとき、図書館でこの本に出会った。母のことを念頭に置きながら本書を読むと著者の訴えたいこと、主張したいことが理論的かつ実践的でわかりやすく迫ってくる。著者の理論と実践を聞いて納得して自分も実践してみた現場介護職員を通して、なによりウンコとシッコを思うように制御できない年寄り達の救いになっている。思わず「おもらし」に直面してしまった母のうろたえにOJISANがどう応えてやればいいのか(文章上では)良く分かる。(文章上)と書くのはOJISANの母がまだ「おもらし」を自分で処理できる状態で、OJISANはまだ見て見ぬ振りをするだけでいいが、心の中では実際に介助しなければならない場面を想像して不安がよぎる程度の段階だからである。著者はOJISANのように予期不安に震える者に勇気を与えてくれる。排泄こそ人間の原点であり、介護の原点であると言う信念が明るく確固として伝わってくる。だから文章も講演も明るくユーモアに満ちているのである。OJISANの知っているある女性介護職員は講演を聴いて「三好春樹はきみまろか」というくらい笑いにあふれ、豊かな実践と感性に感動して女性介護職員は幸福そうだった。なぜ幸福かというとウンコ、シッコの世話に忙しい自分の仕事を十分認めてもらったからである。著者には今よりよき介護方法の未来が見えるのである。余談だがOJISANも現役の時仕事の分野でそういう経験をしたことがある。何年も努力をして、しだいに見えてくる。今年はこの段階だが、来年はこうなるぞとはっきり到達点が見え、活動は身体に力がみなぎり、疲れないのである。人々に幸せを与えながら著者も最も幸せな時なのである。

 母を介護しているからと言うだけでなく、いま三好春樹は「旬の人」だ。先日教育テレビの介護番組で介護が必要な人の「立ち上がり方」の再放送をやっていた。たいていの人には「立ち上がり」なんて無意識の動作に過ぎないだろうが、年老い身体が弱った人にはたいへんなことである。介助者にとってはそのたびに面倒であり、腰痛の元である。三好春樹氏はなるほどと思うような分析と方法で介助者と被介助者双方が喜ぶ立ち上がり方を説明してやって見せた。知れば単純なことである。三好春樹氏の介護はそういうことの積み重ねなのだが、数が多くなればそれは革命的と言って良い。「ウンコとシッコの介護学」もそんな本なのである。

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『硫黄島』読売新聞社

★『硫黄島』読売新聞社 07・8・13                                         ☆ビル・D・ロス著を湊 和夫氏が監訳し、昭和61年6月に読売新聞社から発行されている。サブ・タイトルに「勝者なき死闘」とある。20年以上も前の発行であるが、戦後60年が過ぎ、最近映画「硫黄島からの手紙」など硫黄島の戦いに関する話題がたびたび取り上げられているため読んでみた。アメリカ側から見た具体的な硫黄島戦闘詳報である。参加した多くのアメリカ軍兵士のそれぞれの思いと戦い方がこれでもかというぐらいその固有名詞とともに並べ立てられ、紹介されており、草の根の戦史となっている。日本人兵士の名は代表的な指揮官名以外はでてこない。でてきてもその戦いぶりや心情はすべて推測である。なにしろ95パーセント以上も戦死してしまうと記録の残りようがない。ただ日本軍兵士も敢闘したのは紛れもない事実である。

 太平洋戦争関連の著作を読むたびに、つくづく思うのは突入した戦争の善し悪しとは別に、当時の日本の「戦争力」の強大さである。ドイツとともに全世界を相手にし、少なくとも緒戦では米英を圧倒するに至った日本軍及び日本人の敢闘精神と戦闘能力、そして敗色濃くなってきた時期の硫黄島のように個別の戦闘行動でも互角に戦う力強さを知れば知るほど日本の軍事力のものすごさを感じる。結果は敗れたとはいえ、こうした「戦争力」が戦後の日本に潜在して受け継がれているのではないかと考えた中国や韓国、アジア諸国が依然として脅威を日本に感じてしまうのは無理がないと思う。と同時に、冷戦下に於いて平和ボケした日本と対極をなす周辺国家の脅威がなんとなく通り過ぎていったのもアメリカの傘の下にいたというだけでなく、かつて敢闘して死んでいった日本人の怖さが今も受け継がれ、抑止力になっていたのではないかと思ってしまう。身命をなげうって戦ってくれた我々の父や兄の世代の恩恵はみえないところにあると思いたい。

★『仮名論語』関西師友協会 07・9・15                                        ☆原文論語を書き下し文に改め、仮名を振り読みやすくした論語である。全章が掲載されている。

 日本人に名は良く知られている「論語」も内容となるとさっぱりだろう。高校の教科書で学而篇だの里仁篇だのの中からいいとこどり「子曰わく・・・」がいくつか載っていて、その解説を聞いたり、読んだりして、分かった気になったりしてそれで勉強は終わりである。若いときから比較的漢文的素養の世界に近かったOJISANからしてそうであった。なんにもわかっちゃいないのだ。その罪滅ぼしというか、憧れというか、そういう気持ちを長く持ち続けたOJISANはついに本書を見つけて、一日10頁程度素読してとうとう読み切ったのだ。ただ書き下し文を読んだだけである。内容は四分の一も分からない。でも、クアルーンよりも仏典よりも聖書よりも身近に感じるものがあった(もちろんこれらの聖典も論語以上に未知なのであるが)。分かる部分があるのである。漢文そのもので読めればいいのだがOJISANには原文を読み通す力はない。しかし、書き下し文でも十分満足である。死ぬまでになさなければならぬことを一つ果たした。

 

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『ハリウッド100年のアラブ』朝日新聞社

★『ハリウッド100年のアラブ』朝日新聞社 07・6・13                          ☆題名のとおりハリウッド映画で描かれたアラブの姿を評論的に解説・紹介した本である。著者は村上由見子氏、副題として「魔法のランプからテロリストまで」とある。

 この著者はすごい能力をもった人である。なぜならハリウッド映画世界とアラブ世界の両方に通じていなければ書けない本だからである。しかも日本人なのだ。OJISANも映画は好きだから書中に出てくる映画題名など聞いたり、見たりしたのも多々あるが、ここまで系統的(かつ断片的に)にアラブが描かれたハリウッド映画を網羅しつつアラブの諸相と絡み合わせて論ずる筆力に驚く。OJISANなどここに出てくる映画をただ見るだけで10年はかかってしまう。「アラブ」なーんて簡単に書いているOJISANは何にも知らないからアラブとしか書けないのだ。アラブの人々は映画の中を始め様々な面で西欧の人々に無知蒙昧、野蛮人として貶められてきたようだ。なぜアラブの人々の中で映画好きがいて(ぜったいいると思う)そういう人がこの本の著者のようにアラブ人の手によるアラブ人のための反駁をしないのかとOJISANは思う。宗教、思想、文化が違うと言えばそれまでだが、この数年「アルジャジーラ」といったメディアがアラブ世界に登場し、アラブの人々だけでなく西欧の人々も注目し、尊重までし始めている。その電波に咳き込んでいる国もあるようだ。なのにイスラム原理主義を掲げ、その「理想」の説明方法がテロリズムと言うのでは人々から離反されるだけではないかと思う。アラブ人は古代から文明・文化を創りあげてきたのだ。がんばってほしい。(思わずボケOJISANが熱くなってしまった)

★『裁判狂時代』河出文庫 07・7・20                                         ☆裁判傍聴マニアによる裁判の諸相および裁判傍聴のポイント解説書である。特にオウム真理教の麻原彰晃裁判が詳述されているところが読みどころ。

 OJISANはこのところ立て続けに裁判傍聴記系の本を読んでいる。先日など本屋の店頭に司法、裁判傍聴、裁判官に関する書籍のコーナーまで見かけた。裁判員制度の施行を前に関心が高まっているからだろう。この前は北尾トロ氏、そして今回の著者は阿蘇山大噴火氏でいずれも「変な物書き」族に分類されるだろうが、この裁判コーナーに本が並べられていた。二人ともいずれジャーナリズムの世界で頭角を現してくるだろう。両者とも題名・著者名だけで判断すればふざけているが内容は至ってまじめで、保守的にすら感じてしまう。阿蘇山大噴火氏など非常に素直かつ小市民的な感覚でジャーナリズムに生きる者に必要な批判精神に鋭さがもっと必要なのではないかとまで感じる。裁判所は裁判員制度の啓発をしたいならこの人達の本を配って普及に努めたらどうだろう。へたなポスター、裁判員ビデオより理解が進むんじゃないだろうか。

★『かたき討ち』中公新書 07・6・25                                       ☆主として江戸期における「敵討ち」という習俗に関する幾多の事例とそれにまつわる日本人の精神構造に迫ろうとする労作。

 最近は読書疲れがあって集中できず、ついなかみを飛ばす読み方になっているが、この本については久しぶりに精読してしまった。それほどOJISANは面白かった。この面白さはインタレスティングのおもしろさである。文章はできるだけ読者が事実に迫れるため江戸期の原文を紹介し、意訳付きとは言え易しくはない。それでも江戸期の学者、歴史家、文筆家の言を用い、近現代の文学作品を用い非常に多彩に「仇討ち」をめぐって事実と風説を確認しつつ、多角的に当時(主に江戸初期仇討ちの意識・形式が整ったと思われるころ)の日本人の精神構造を解き明かす。そしてそれは現代日本人の精神構造を追究する資材になるかもしれない。

 敵討ち、すなわち復讐の思いはどんな民族・地域にもあるが、ファー・イーストの日本人の精神事情はどうも特殊なところがあるようだ。日本人は命を粗末にする民族で、古くからつまらないことで簡単に命を捨てていると外国人には驚かれ、日本人も受け入れてきた。この本は、そこにいたるまでの心性研究にまで及んでおり、OJISANは最終章の「敵討ちの原像」の~自然な死を求めて~のところで著者が提示した日本人の死生観の源流と思われる考察に「たしかにそうかもしれない」と思ったりする。曰く、「老いたり、病気で死ぬのは不自然な死。苛烈な闘争の末非命の死こそ自然の死」という考察である。OJISANは思うのだが、この考え方を現代にまで敷衍していくと今日の日本の自殺者の多くが老人であることに暗合を見いだす。すなわち我々は老人は老いたり、病気の労苦に絶望して死を選ぶのだと思っているのだが、そしてそれは事実と思うのだが、一方でその底流に老いたり、病気で死ぬのは人として役に立たず、不自然な死を無為に迎えることで、それよりは自ら選択した死を選ぼうとする古来からの死生観が作用しているのではないかと。同じく豊かな国日本の自殺者が極端に多いのも古来から培われた死生観が死にゆく人が気づかずに陰に陽に作用しているのではないかなどと考えてしまう。最近のイスラム・テロリスト?の殉教自爆死とはまた違う死への指向が日本人にはあるようだ。

★『アパルーサの決闘』早川書房 07・6・30                                   ☆作家はロバート・B・パーカー。西部の無法の町にやってきたお雇い保安官とその助手が知恵と勇気を発揮して町に平和を取り戻してゆく物語。

 OJISANは今までアメリカの西部辺境小説を読んだことがない。これが初めてだ。内容は、西部劇描くところの保安官と悪漢の対決、インディアンの襲撃などおきまりのパターンがてんこ盛りに盛り込まれているハナシ。面白くも何ともないと思ったのは最初だけで、途中から投げ出せなくなった。けっこう面白い。保安官はいちおう正義の味方だが、別の保安官を射殺してもおとがめなし。これぞ現実の西部の姿だったのだろう。また、具体的に出てくる女性は娼婦だけ。これがまた堂々としている。それに男達から大事にされている。これもまた往時の西部の実際だったのだろう。映像ではうかがい知れない西部に生きる人々の心理や葛藤などがなんとなく理解できるのも小説の効用だ。単純にして明快な西部劇小説はそれなりに読み甲斐があった。

 

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『ナチ占領下のパリ』草思社

★『ナチ占領下のパリ』草思社 07・5・24                                       ☆1986年発行のドキュメント。著者は長谷川公昭氏。題名のとおり第二次世界大戦時フランスを侵略し、パリに進駐したドイツ軍の支配とパリ市民の4年あまりの状況を検証した本である。

 ナチスドイツ占領下のパリというとすぐ英雄的な対独レジスタンス運動を想起するが、本書によると占領下のパリ市民の反応は三つに分かれるそうである。抵抗派が0.5%、協力派が0.5%、生活に追われて無関心派が90%の割合である。抵抗派ばかりではなかったのである。同じくらいに対独協力派がいて、こういう人たちはなんとかナチ・ドイツ支配層に近づきいい目をみたいと占領司令部に出入りし、独仏文化協会などに色目を使っていたのだ。ジャン・コクトーなどもかなり媚びていたようだ。ドイツ軍もパリ市民に対しては政策として融和的で、四年も占領されればついなれ合いに陥ったはずである。こういうパリ市民の迎合を情けないとは言えない。日本人だって占領軍司令官を神のごとくあがめたむきもあるからだ。もっとも占領の質が違うのだが。米軍の占領は歴史的に見てかつてないほど幸運であったのではないか。その米軍が今日イラク占領政策で目を覆うばかりの失敗をしているのはどうしたことなのだろう。

 「パリは燃えているか」という映画に詳細に描かれているが、ヒトラーという人格と戦争の本質から言えば、今あるパリの都はなくなっていたはずである。それがパリの歴史的価値と美しさを認めていた占領軍司令官の躊躇いによって救われることになった。ドイツではその司令官コルティッツの評価は高くないそうである。命令を実行しなかった軍人として。しかし、これが全体主義と人間精神の分かれ目で、コルティッツは人間精神の側についた。それで間違いはないのだ。パリは命令を唯一絶対の指針とする軍人のこころまで変えることのできた歴史的、文化的魅力を持った都市である。OJISANはパリに行ったことがない。それゆえその蠱惑が肥大するばかりである。見ないで、体験しないで魅惑がより深く、強くこころを支配するのもよいのかもしれない。

★『アーニーの戦争』JICC出版局 07・5・27                                 ☆1990年発行。原題は「ERNIE’S WAR」。副題が付いていて、「アーニー・パイル第二次世界大戦ベストコラム」となっている。本書は欧州戦線及び太平洋戦線において兵士と生死をともにし、兵士の側にたった戦争報道を行ったアメリカの従軍記者であるアーニー・パイルのコラム遺稿をまとめた書である。

 OJISAN世代にとって、アーニー・パイルの名は占領軍によって接収された東京宝塚劇場が「アーニー・パイル劇場」という名に変わったと言うこと以上の記憶は残らない。しかし、アメリカ軍兵士には名を付けて記念する理由があるのだ。通常従軍記者は、軍事的、政治的大所高所から戦争を報道して現場の兵士の状況については二の次だろう。ところがアーニー・パイルは違った。無名の兵士の戦場体験と思いを銃後に報道したのだ。しかも、「戦争は人殺しだ」とか「戦いに加わりたいと思っている兵隊は一万人に一人もいない」といった一見反戦的と思えるような表現で兵士の極限の思いを銃後の人々に伝えた。そして、その率直な共感が兵士を勇気づけ、正義の戦いの意義を見いださせたし、戦場から遠く離れた人々には兵士を支える思いをより強くさせたのだった。アーニー・パイルは最後まで現場主義のジャーナリストであった。彼の最期は沖縄戦伊江島で日本軍兵士の放った一発の銃弾だった。欧州戦線で、太平洋戦線で知り合った兵隊たちの多くが死んだ。彼もまた死んだ。アメリカ軍兵士たちが自分たちを勇気づけてくれた仲間としてその死を悼まないわけはなかった。60年を経たコラムを読んでアーニー・パイルの伝えたいことは今も新鮮である。

 

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『モーツァルトの手紙』小学館

★『モーツァルトの手紙』小学館 07・5・1                                       ☆著者は高橋英郎氏。あとがきも含めて493頁、書価は3800円+税という大著だ。モーツァルト誕生を伝える父レオポルドの手紙から始まり、幼いモーツァルトの手紙、青年時代の手紙、最盛期の手紙、死の前の手紙までヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの手紙のたぶんほとんど全てを網羅した精密な書簡研究書だ。手紙がこの誤解の多い人物の真実を伝えてくれる。手紙の中のモーツァルトは神に愛されたたぐいまれな人であることが分かる。それ故にしばしば時代を超越してしまい無理解や羨望の果てに排斥の憂き目に遭う。また、その人自身も音楽以外の全ての処世において愚行と失敗を重ねて、平穏と幸福をつかめないまま去ってゆく。モーツァルトの運命は神に愛された天才の典型である。

 OJISANは、ミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」に描かれたモーツァルト像に影響されすぎた。この映画でのモーツァルトは、音楽におけるその神性と裏腹などうしようもない品性下劣なモーツァルトとして描かれていた。「アマデウス」はフィクションとして非常に面白い作品であることにようやく気が付いた。OJISANはモーツァルトに関する他の著作なども参考に、長い間これがモーツァルトの本質と思いこんでいた。今回手紙を読んで思いこみがかなりの部分で間違っていたと分かった。映画の影、恐るべし。

 音楽家としてより教育家として優れていた父、陽気な母、仲の良い妹の中心としてのモーツァルトの家庭生活は幸福だった。ひねくれる要素がない。母国語のほかイタリア語、英語、フランス語まで習得してしまう明晰なモーツァルト。子ども時代のモーツァルトは子ども同士の遊び友達の姿が見えない。5歳のときから貴顕紳士淑女と交わり、遊泳して経験を積んでいた。(なのに終生に渡って彼の処世下手はどうしたことだ)家族からも周囲の人々からも愛されていた。品性下劣であればいくら音楽の天才でも相手にされないのはいつの時代でも同じである。よく言われることであるが、天才は「時代」から排斥される。彼は生まれるのが早すぎた。品性下劣の証拠として挙げられるモーツァルトのスカトロジーな(文章上の)表現は時代の流行である。まったく後世から見た前世は奇妙で理解不可能な流行にあふれていたものだ。人の欠点を挙げればきりがない。モーツァルトの芸術に瑕疵を見つけられない凡人は、モーツァルトの人格、生活のなかぐらいしか瑕疵を見つけられない。しかし、天才があまりにすばらしすぎるとこうした人生の瑕疵もドラマチックに感じられてしまうのだ。

★『脱出記』ソニー・マガジンズ 07・5・3                                       ☆原題は「The Long Walk」著者はスラヴォミール・ラウイッツ。実話記録で表紙に~シベリアからインドまで歩いた男たち~とある。著者は第二次大戦初期ポーランド軍将校であったが、ソビエト軍にスパイ容疑で逮捕され、重労働25年を宣告されて酷寒のシベリアに流刑になる。そしてそこから6名の仲間とともに脱走してバイカル湖を経由、ゴビ砂漠を横断してヒマラヤ山脈を越えてインドまでたどり着いたという話。脱出の途中でクリスチーナという少女も加わったが、結局生き残ったのは著者を入れて4名であった。とまあ簡単に書けばそういうことだが脱出行は全て徒歩、酷寒と酷熱、飢餓と恐怖の連続である。

 冒険物語ではないからハッピーエンドはない。OJISANが読んで悲しいのは後半部分だ。クリスチーナは途中で死ぬ。哀切きわまりない。なんでこんな娘が死ななければならないのだとしばらく読むことをやめた。さらに男がひとり病気で死ぬ。ヒマラヤ山中でまたひとり墜落死する。OJISANはそのつど死を見届けた男たちと同じように嘆く。ここまで生死をともにすれば仲間一人一人の死は身を引きちぎられるようにつらいだろう。結局は想像するしかない。OJISANも完全感情移入したつもりだが所詮は居間でぬくぬくと読んでいるだけの身である。それにしても人々にかくまでつらい体験をさせたのも戦争のせいだ。OJISANだって戦争と言えばこの人たちには及びもつかないが、未だに心にひきずり、その後の人生や生活の折々に影を落とすときがあるのだ。生き残った男たちはインドの病院で別れ、その後再び会うことはなかった。それぞれの運命も分からない。ただひとり著者ラウイッツ氏だけがこの悲愴、悲惨な脱出記を表し、無名の人々の自由を希求する心と偉大さを遺した。

 

 

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『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』

★『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』文春文庫 07・4・23                      ☆裁判所法廷は人間模様の縮図。テレビのワイドショーや小説もぶっとぶほどのリアルな人生が展開される。しかもタダで誰でも傍聴できることが法律で保証されている。著者は北尾トロ氏。ふとしたきっかけから裁判傍聴の面白さにハマり、それを本にまとめたが、ふざけているようで結果的には日本の裁判の様相をわりと的確に伝えてくれることになった。

 なにしろ裁判員制度も始まる予定だし、その裁判員に選ばれたら自分に人は裁けないとか、仕事をどうしてくれるだとか、とにかく尻込み後ろ向きの姿勢ばかりが最近目立つ。要するに日本人にとって裁判所は怖い、禁忌のお白洲感覚なのである。ところがこの本を読んでOJISANは裁判所に傍聴に行きたいと思うようになった。まず、主役の被告だって凶悪な悪人面はまれ、たいていは気の弱い、まぬけな男女の面々。裁判官も検事も弁護士もみーんなふつうの人々。著者は裁かれる人もそれを見ている傍聴人も紙一重で立ち位置が変わる可能性はいっぱいあるのだと書いている。思い浮かぶ裁判所のイメージは近寄りがたく暗いものだが、著者のなんとものびやかな、文章作法的にはゆるーい表現が妙に法廷と人々の生業を明るいものにしている。実は最近何度も仕事で霞ヶ関の地裁前を通るのだ。地下鉄桜田門駅まで430円往復860円で一日有意義に過ごせるなら是非傍聴に参加してみたい。と思う今日このごろである。

★『王維 中国詩人選集』岩波書店 07・4・24                                    ☆王維の漢詩集。王維は盛唐の自然観照詩人と言われ、なかでも夕景を謳った詩がすぐれて人のこころを惹きつける。李白や杜甫のごとき波瀾万丈はうかがわれず比較的静かな生涯をおくったと思われ、その意味で幸福な詩人であった。

 約2ヶ月をかけて詩集を朗読してきた。原文を読む努力をしたが、書き下し文も大いに利用した。書き下し文は日本人が漢文(中国語)を日本風に読む大発明である。いまどき漢文などはラテン語ほどもはやらない代物だと思うがOJISANは読みに苦労しながらも好きである。読むのに精一杯で作品の解題、感想にまで頭が回らず記録内容はこれでおしまい。

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『自衛隊イラク従軍記』

★『自衛隊イラク従軍記』学習研究社 07・3・23                                  ☆正式な書名は「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」と長い題名だ。著者は金子貴一氏。著者の本職はフリーのジャーナリストだが、この本のすごいところは自衛隊内部での見聞を記録したことである。なぜそのようなことができたかというと、著者はカイロ・アメリカン大学卒業でアラビア語に堪能。長くアラビア語に関係する仕事を続けてきた経験が物を言って、自衛隊のイラク復興支援部隊に通訳として従事することを要請され、宿営地設営に至る初期の51日間をサマーワで自衛隊員たちと苦楽を共にしたからである。

 イラク・ムサンナ県サマーワにおける陸上自衛隊イラク復興支援部隊の活動をリポートした著作・写真集などは機会があるたびに目を通してきた。その数冊のうちで本書が一番実態を伝えていると思う。他は自衛隊の外側から見たリポートであり、観測、伝聞、憶測が入り交じり活動する人々の実態の伝わり方がいまひとつぼやけていた。本書の特徴は三つある。一つは参加した自衛隊員のナマの声が伝わっていることである。時、所、できごと、雰囲気をさまざまなエピソードを書き連ねることによって伝え、著者の役割や立場あるいは力の及ばない出来事なども書かれている。二つ目は、部族国家と言われるイラクの部族に関する詳述が学術的とも言えるほどで目から鱗である。でも複雑すぎて分からないけど。実際的には自衛隊の復興支援活動に支障を来すほどの大きな影響を与えていたことも理解できる。三つ目は日本人にとってアラブ(イラク)は全くの異文化の地域だとあらためて教えてくれたことである。こういうところに入り込んで目的を遂行することがいかに難しいことであるかよく分かる。これはイラク復興の目的もあるだろうが、日本人が未開の地域に分け入るという探検の要素まで感じてしまう。大きな事はできなかったかもしれないが自衛隊は(つまり日本人は)アメリカやイギリスとは違う手法でイラクの人々のこころに少しは寄り添えたのではないかと考える。

★『牧羊犬シェップ、がんばる。』東京創元社 07・3・31                            ☆夏目漱石作「吾輩は猫である」のアイルランド版のような本である。作者はマージョリー・クォートン。シェップという牧羊犬を書き手として自分と飼い主一家の素朴かつ騒々しい日常を描いている。原題は「one dog,his man and his trials」で日本語題名とまるで違う。

 シェップは日本の犬好きの間でも評判のボーダー・コリー種で賢くかつ活動的な犬である。原題中に「Trials」とあるように牧羊犬としての働きと、その能力を評価する競技会が詳しく説明されており、適度なユーモア、アイルランド共和国の田舎の生活が活写される。そのもとになっているのは務台夏子氏の日本語訳でほんとうに犬が語っているかのような生き生きした文章である。まさに拾いものの本で、なぜ拾いものだと言うかというと、理由は「牧羊犬シェップ、がんばる。」という日本題名にあり、子ども向けという誤解を受けそうで、何とかならなかったかと思う。文章を2、3頁よんで、こりゃ面白そうだと気づく手間がかかって見過ごされる可能性があるからだ。もちろん中学生ぐらいから大人まで楽しめる。特にボーダー・コリーを飼いたいけれど実際には飼えない人々にはボーダー・コリーとの生活を疑似体験できる。アイルランドの田舎の人々のことも大好きになってしまう。その結果困ることは、ほんとうにボーダー・コリーがほしいと思ってしまうことだ。しかし、念のために書くがボーダー・コリーを室内で飼ってはいけない。彼等を不幸にしてはいけない。ボーダー・コリーは緑の牧場にいてはじめてボーダー・コリーなのだ。 

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『ホームページ泥棒をやっつける』花伝社

★『ホームページ泥棒をやっつける』花伝社 07・3・4                             ☆ITオタクらしい著者 松本 肇氏がオリジナルのホームページを立ち上げネット商いを始めた。ところがそのホームページをほとんど完全にパクった別な会社が現れて商売を横取りされてしまった。怒った著者は最初の穏やかな抗議からしだいに過激に活動して最後には裁判オタクと化し勝利する顛末を記す。文章の他に同じ内容のマンガの説明付きでわかりやすい。読んでみると普段は知り得ない、知りたくもない著作権とか訴訟手続きとか誰に相談したらいいかとか、司法のいろいろな問題が具体的に浮き上がってきて興味深い。司法改革などでこれから嫌でも身近にならざるを得ないだろう世界だからである。最初は何のことか分からなかった書名も実はそのものズバリだった。

 地裁の裁判官から判決という形で自分の創りあげたHPの著作権を否定された松本氏は、がっかりし、ふてくされ、泣き寝入りしようかとも思ったが思い直した。日本中のHPデザイナーのための著作権を法的に確立しようと戦い始めるのである。まるでハリウッドの裁判物映画のような華麗な展開である。オタク恐るべし。OJISANは、普通に、単純にどんな分野、世界でも最初に創りあげた者が先取得権を持つ(実質の伴わないこともあるが)と考える一人なのでこの裁判官の判断は解せない。最近、公共の公園がホームレスの現住所となっても良いという判断を下した裁判官がいるが、思考の回路に興味がある。この世界にもオタクがいて、夢のような法律解釈に「萌え」ている人もいるのかな。ただし、秋葉原のオタクよりもずっと実害がある。ちょっと裁判官に文句をつけたが、どこでも変わった人はいるものだ。その人を見てその世界を判断してはならない。松本氏は、人の話を聞いてくれる裁判官、親切な裁判官、公正な裁判官の存在も筆を尽くして書いている。そっちのほうがずっと多いのだ。そうあってほしい。

★『家族は孤独でできている』毎日新聞社 07・3・13                                ☆第二次世界大戦後の日本は旧家族制度が崩壊して新しい家族形態の模索が始まった。いろいろな類型ができては消えていった。家族のイメージさえも定型はなくなった。その上さらに変化し続けている。その状態はもはや奇態と言ってもいいところもある。その様々な形がこの本には紹介されている。読んで「我が家はここまでひどくはないよな」と安心してもいい。「自分ちと似ている」と思ったらヤバイと思うのもいい。みんな自分流の理想的な家族形態を守るのに必死だが、気がついたら足下から崩れていたという元家族は増加するばかりだ。OJISANの家族もそのひとつだ。

 わがことのようだからこんな本は読みたくなかったが、それゆえに手に取ってしまった。自分も含めて家族が四散してしまったOJISANにとってどうしても考えてしまう問題だからだ。OJISANは家族と離れてしまえばあとは何も考えないと言うほど鈍感ではない。しかし、鈍感であったらどんなに幸福だろうとは思う。子どもたちはバカ親から心が離れ、独立独歩たくましい。妻は孤独にさいなまれ、OJISANは孤独をごまかして暮らしている。この本の嫌なところは題名のとおり「家族の孤独」を書きつづっているだけで、ではどうするがないことだ。たぶん著者石川結貴氏にも妙案は見つからないからだ。だいたいこの本は家族再生ノーハウ本ではない。

 

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『杜甫』岩波書店 中国詩人選集

★『杜甫』岩波書店 中国詩人選集 07・2・12                                   ☆「詩聖 杜甫」の詩集を朗読した。まとまった詩編を読み終えたことに安堵している。ただ詩編の真髄に迫るには至らない。これからも詩の外縁をうろうろするだけであろう。それほど杜甫の詩は深いと感ずる。そういう情けない力しか持たぬOJISANでもそれなりに満足できたのは、杜甫がまことに憂愁の詩人であることを感じることができたことである。「静夜思」や「登高」「登岳陽楼」など高校教科書を通して触れた作品はまだロマンチックであった。読み進めていけば杜甫の希望、杜甫の孤独、絶望、漂泊の思い、自然観照、そして憂愁が現代人のそれと通ずるものであることがよく分かる。ただ鈍感になった現代の人々が身近に感じないだけである。人間の普遍的な感情を神の手のごとく時代を超えて表現した杜甫はまさしく詩聖と呼ばれるにふさわしい。

★『ニッポン社会入門』NHK出版 07・2・24                                     ☆OJISANが大好きな日本人論-比較文化論。著者はデイリー・テレグラフの特派員コリン・ジョイス氏だ。ジョイス氏は「もともとアイルランド出身で、お祖父さんの親類にはジェイムズという名の小説家がいる」そうだ。(エー、すごい!なんてひっかかるな。著者の冗談だ。)

 サブ・タイトルに、~英国人記者の抱腹レポート~とあるがそれほど面白くはない。英国人らしくしかめっ面をして皮肉を連発する程度だ。(それが面白いけれど)ただし、日本を好きであるのは本物のようだ。それだけにきついパンチも浴びせる。この本によれば大多数のイギリス人は日本のことをほとんど知らないようだ。しかし、同時にOJISANを始め大多数の日本人もイギリス人のことをほとんど知らないことに気が付く。日本人論でありながら英国人の生活と意見を比較対照するかたちで紹介しているのだが、かなり「え、そうなの」という目から鱗、目がテンになるような事柄が多いからだ。OJISANが知らないから他の人も知らないだろうと言わんばかりの表現は僭越だろうが、英国事情について先入観・既知のイメージが固定化しているのはOJISANばかりではあるまい。この本はそういう意味で現在の英国を紹介する非常に優れた英国文化論でもある。

 最後に前段で「抱腹と言うほど面白くない」と書いたが、著者はかなりいたずらっ子だ。それは「イギリス人をからかおう」の章を読めば分かる。OJISANが思わず笑ったのは、初来日英国人へのことばのレクチャーで、「名前に〈さん〉をつけると丁寧になり、〈さま〉はさらに丁寧なかたち、そして最上の敬意を表したいときには〈ちゃん〉をつけると教えてあげよう」というくだりだ。OJISANの体験でも、外国に行くと変な日本語で話しかけられることがあるが、どうも一部の日本人もコリン・ジョイス化して変な日本語を教えているらしい。国際摩擦に発展したという話を聞かないところをみると、被害者はこのささやかな文化摩擦を楽しんでいるようだ。

★『徴税権力』文藝春秋社 07・2・28                                         ☆地味な表紙に大きく「徴税権力」の題字。副題に~国税庁の研究~とある。見るからにお堅いイメージだが中身は面白い。著者は落合博実氏でもと朝日新聞記者である。題字、副題のとおり国税庁・税務署・税務署員の活動を活写した記録、評論した本である。

 新聞記者が書くと言えば、職業倫理は「真実を伝える」とか「中立公正」と言いながら実は独特の臭味があって、最初から記者の予断のもと事実はそれに従って表現されたり、時には神のごとき思い上がりで断罪しているのではないかと思えるような記事を読むこともあって、OJISANは警戒気味である。しかし、この著者は思い入れや狎れもほどほど、厳しいけれど批判や追求も対象の立場を思いやる気持ちが窺えて、つまりは適正な執筆姿勢を感じる。なによりも読後の後味がよい。OJISANの知っている最近の税務職員は学歴は高卒が多いが地方の国公立大に合格する程度の能力・学力を有するきまじめな人が多い。人のいやがる縁の下の力持ちと言える税務職員とか検察関係の人たちは誇りをもって仕事をしてほしい。と書いたからと言って、OJISANは税務関係に縁があるわけではない。エールをおくっても警察署と税務署には行きたくない。この深刻な内部矛盾をどうしたらいいのだろう。 

 

 

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『10ドルだって大金だ』河出書房新社

★『10ドルだって大金だ』河出書房新社 07・1・27                                 ☆ジャック・リッチーの短編14が盛り合わせされた本。14編もあるのでいちいち感想は書かない。OJISANが感じる全体的なイメージをまとめておく。

 ジャック・リッチーなんて聞いたことがない人が多いと思うが《EQMM》誌や《マンハント》《ヒチコック・マガジン》誌では毎度おなじみだ。これらの雑誌の共通項は「ミステリー」だからジャック・リッチーはクライム&ミステリー作家。殺人や犯罪を描くことが基本である。ただこの種の小説の基底に流れるダーティかつ暗い雰囲気はない。一つ一つの短編が軽妙で残虐な殺人もかるーく描かれる。強盗も詐欺も‘誰でもできそう’にその経緯と犯罪の心理が説明される。特に結末が洒落ている。ちょっとO・ヘンリーの短編を彷彿とさせるところもある。残念ながらO・ヘンリーほどの名短編集とは思えないが、1,2編を読んで机の上に伏せ、ちょっと暇なときに手に取ってしまいまた読むということを重ねて最後まで読んでしまう隠れた銘酒のような味わいのある盛り合わせである。

★『ゲスト・オブ・ヒロヒト』築地書館 07・1・28                               ☆太平洋戦争初期日本軍の香港侵攻作戦で捕虜になり、当初は香港で2年そして新潟捕虜収容所で2年の生活をおくったケネス・カンボン氏がつらい思い出を綴った記録。

 ちょっと異色なのはケネス・カンボン氏がカナダ兵として戦い、捕虜になったこと。戦争中の捕虜のイメージと言えばアメリカ兵がおきまりだが、日本軍は欧米系ではアメリカ・カナダ・オランダ・オーストラリア・イギリス・フランスなど多様な国々の兵士を捕虜とした。次に特徴的なのは日本軍が捕虜を虐待したこと。先の第一次大戦中には捕虜にした兵士を手厚く遇した事例など消し飛んでしまっている。それだけ太平洋戦争に突入した日本軍はそのときどこの国の軍隊よりも傲慢だったわけだ。著者はそうした虐待の経験をなるべく書かないようにしているようだが、そうすると書くべき思い出は何もなくなってしまうほど捕虜収容所時代はいつも、どこでも虐待だらけだった。そして、死んでいった仲間も多かった。OJISANは日本人で、日本人の心優しさや礼儀正しさや正義を愛する心構えは世界一だと思っているゆえにとても残念で悲しい。それにカンボン氏は香港での戦闘中や捕虜生活中に見聞きした日本軍の香港の人々に対する残虐行為も記録している。そんなところは読みたくなかった。そんなことはどこの国の軍隊でもありがちなことだ。とか、戦争は普通の人間を狂気に駆り立てる。なんて他人事のような物言いはできない。直視しなければならない。

 カンボン氏は暗い話ばかり書いているわけではない。〈空腹のあまり〉捕虜仲間で収容所闇市ボスの隠匿物資を全部うまく盗んで食ってしまったとか、収容所長のペットである鶏を盗んで食ってしまったといったスリリングかつユーモラスな行動を〈若干の反省をこめて〉記録している。そこには生き残る人間のたくましさがある。

★『B-29 日本爆撃30回の実録』ネコ・パブリッシング 07・2・1                       ☆第二次世界大戦で東京大空襲に携わった米軍パイロットの実戦日記である。

 そのパイロットはチェスター・マーシャル。将軍のような名前だが実は少尉。米軍側から見た爆撃作戦の状況を日記風にまとめている。最初は軍事・軍需施設に限定していた爆撃が次第に拡大して民間人大規模殺傷に踏み切っていく過程がわかる。民間人への爆撃は犯罪である。著者たちは明らかに良心に呵責を負うが命令によって機械的に爆撃行を繰り返す。30回の危険任務を果たせば帰国できるのである。記録映画で見たり、年寄りの話ではB-29は成層圏を悠々と飛び何の危険もなさそうであったが、終戦までに日本上空で撃墜されたB-29は300機に及ぶと著者は書いている。日本軍の抵抗も相当な力を持っていたと感じる。そのほか爆撃行で墜落した機も多い。1000名以上の搭乗員が戦死しているのだ。著者の僚機や戦友も次々と撃墜され、戦死している。年齢的には18歳から25歳くらいの若者ばかりだ。爆撃された日本人は何十万人も死んでいることを忘れてはならない。双方とも家族をまきこんで何百万人もの悲劇につながっていく。これが戦争だ。このところ戦争物を読むことが続く。嫌だ嫌だと思いながら読む。戦争こそ人間行動の究極を感じてしまうOJISANの業が捉えて離さないのだ。

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『シングルっていいかも』光文社 知恵の森アンソロジー文庫

★『シングルっていいかも』光文社 知恵の森アンソロジー文庫 07・1・19                  ☆シングル女性の生活と意見をまとめた文庫本。編集者は岸本葉子氏でこれまたシングル。執筆者は光浦靖子、角田光代、内舘牧子、香山リカ、阿川佐和子、伊藤理佐、藤堂志津子、瀬戸内寂聴など元気な女性たち。

 なぜOJISANが女性シングルの生活と意見を読むかと言えば、OJISANもシングルだから参考になるためである。最近本当に老若男女ともシングルが多くなった。社会現象というより国家現象として政治・経済・制度的な分野で対策が必要になるのではないかと思う。なかでも女性は日本の文化・社会規範、雰囲気に束縛され「結婚しなければならない意識」の残滓を抱えている。この本の女性たちも結婚への憧憬をほのかに漂わせながらも敢えて、あるいはやむを得ず、あるいは成り行きでシングル生活をおくっている。現代日本は女性がシングル生活をおくる条件を整えつつあるが、女性であるが故にどうしても避けられないきびしい環境がまだある。それにどうやって対応していくかそれぞれの経験や意識そしてつぶやきにOJISANのような中高年男シングルは教えられることが多かった。男も中高年になれば弱点が多くなったと気がつく。

 多くの女性は結婚への憧憬があるが同じくらい幻滅もある。瀬戸内寂聴さんはずいぶん前(おそらく20年以上前)に書いたと思われる「男に頼らず生きようとする女の愛し方」の末尾で「家庭の崩壊と、親子のあり方、夫婦のきずなを根底からゆり動かす日がくるまえぶれのように思われてくる」と予言していた。その言葉のとおりの状況がOJISANにも訪れた。OJISANのような男は結婚すべきではなかった。でもそのOJISANも40年前は社会意識にくるまれて何の疑問も持たず家庭を持った。男も女もそれが当時の日本全国95パーセントの常識だった。そうしなければ異常に見られた社会だったのである。たった40年しか経たないが、OJISANの経験から思うに女性も経済的・意識的に確固たる生活基盤をもって結婚した方がいい。それがなければシングルでいるのも悪くない。そのほうがラクだし楽しい。今の日本はそういう場と環境と雰囲気を提供してくれつつある。男性シングルの生活と意見が集約されないのは結局のところロマンがなく、行き当たりばったりで面白味がないからだろう。要するに平凡な生活場面がいい加減なのだ。でもそれは男のせいばかりではない。女性がどうしても頼りたい男の役割が少なくなっているからではないか。男も確固たる立場がないのである。

★『チャーチルの陰謀』朝日新聞社 07・1・22                                   ☆第二次世界大戦中フランスのある対独抵抗組織の崩壊にまつわる秘密情報戦を描いたスパイ&ミステリー。前半は若い有能なイギリス軍情報員がフランスに潜入し抵抗組織を作り上げるが内通者によって壊滅するまで。後半は味方に内通者はいたのか。いたとしたら誰か。告発を受けて秘密組織内の地味な調査員がその真相に迫る活動を描く。

 この本の出版は1993年、作者はテッド・オールビュリー。知られていない作家だが自身が大戦中フランスに潜入して活動した経歴があるためドイツ占領下のパリや地方の人々の生活状況と意識が詳しく書かれている。前半の主人公は芸術家肌の若いイギリス人情報員が志願と訓練の結果フランスの秘密戦線に投入され、組織を整備し、拡大していくさまが説明される。しかし、組織は内通によって全滅し、この青年もアウシュビッツであっさり殺されてしまう。後半は戦後の話で、調査によってしだいに真実の輪郭が浮かびあがる。組織を全滅させたのはなんと・・・・。ということだが暗示的に示されるだけで終わる。残る後味は死んでいった人々に対する悼み、残された者の悲哀、そして戦争の不条理、情報戦の不条理だけである。それだけに読後の想いが深い。前半部のイギリス青年情報員と後半部のイギリス秘密組織の調査員がそれぞれ、個性豊かに、魅力的に描かれて好印象だ。OJISANはこの作家の名は初めて知ったが、筆力があり、実体験から来る迫真性にドキドキしながら読み進んだ。気がつかないがまだまだすぐれた作品と作家が書棚には埋もれているのだ。それを発掘して読んでいくことはOJISANの日々の喜びである。

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『わが夫、溥儀』学生社

★『わが夫、溥儀』学生社 06・12・29                                          ☆清朝最後の皇帝「溥儀」の最後の妻であった「李淑賢」さんの夫 溥儀との6年の生活回想記である。皇帝から一市民となった溥儀の私生活と素顔を伝えるよき資料である。

 日本の軍部がうち立てた満州帝国の傀儡皇帝としての溥儀に対するOJISANのイメージは、先の清朝末期の紊乱とも重なって薄汚れた日和見主義者で節操もなく他国に操られた弱々しい人物というものであった。しかし、映画「ラスト・エンペラー」によってその見方を多少修正され、この本によってさらに修正された。溥儀という人物は、生来的に誠実で思いやりがあり著者によれば「明るい性格の持ち主で、憂いを知らず、怒ることを知らず、良く笑い、冗談好き」であった。こういう人物でも清朝末期の陰謀と猥雑の中心に長い間置かれれば変質者的に変わらざるを得ない。その前半生が溥儀を暗いイメージで覆ってしまった。そして、晩年一市民となってから本来のよい資質が復活したのはよほど生来的な良い資質が強かったからだと思う。奇蹟に近いが人間の可塑性に大きな希望を与える。それは前半生にもときどき姿を現していたこともあったために決定的な敵対者を生むこともなく、共産主義中国になっても抹殺されず生き延びることにつながったと思う。皇帝から一市民になった溥儀には普通に生活する上で常識的に見れば哀れというか奇形的な欠点があって生涯治せなかった。魅力的な人物であったのに「皇帝」として育てられたために「ふつうの人間」として生きるためにもの凄い努力をせざるを得なかった人物の不幸と幸福の生の姿が回想されている。OJISANはふつうの貧乏人の子として生まれ育って良かったと思う。でも、どういうわけか根性はあまり良くないのだ。どうしたものだろう。

★『日々の非常口』朝日新聞社 07・1・10                                    ☆朝日新聞に掲載されたコラムの集積版。著者はアーサー・ビナード。アメリカ人から見た日本人の生活と意見及び日本語に関する考察を主としたエッセイ。

 外国人からどう思われているか非常に気にする日本人の一人として、毎度おなじみ読んで確認したい日本人の生活と意見及び日本語論である。従来の観察者はだいたい手放しの日本人礼賛論者が多かったが、最近は日本に対して結構手厳しい話が多くなってきた。ビナード氏はとりわけかつてささやかれた悪魔の言語、日本語の複雑怪奇に対する考察が正鵠を射ており、日本語を良く知らない日本人にはいささか耳が痛く感じるぐらいである。この著者の場合会話がペラペラだけでなく、書く文章も日本語、寝言も日本語、悪態も日本語になりつつあるという恐ろしい存在なので日本語をよく知らない日本人は困ってしまう人も多いと思う。環境保護、ブッシュ政権批判も手厳しくこの人はきっとリベラルで民主党支持者かな。でも、この人も多くの来日観察者と同じく日本人の生活に対する目は温かいと感じる。いつまでも滞在して日本に対する批評者と支持者でいてほしいものだ。

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『どっからでもかかって来い』ワックKK

★『どっからでもかかって来い』ワックKK 06・11・19                            ☆何とも勇ましい題名で、副題は「売文生活日記」となっている。著者は日垣 隆。日記体で全て個人、団体、業界、組織、企業、官庁、行政の不備、不足、対応に対する異議申し立てである。全て実名で内容は具体的。とにかく文句をつけている。ケンカを売っていると言うべきかもしれない。小気味よいくらいでその多くの主張に頷ける。なかでも著者と取引のある某銀行のドジぶりは出色と言うべきで、間抜けさにあきれかえる。著者の食いつきに快哉を覚えるのはOJISANばかりではあるまい。このような姿勢がこの著者のウリで、OJISANも好きな人である。とにかく銀行がこんな調子なら某業界のいい餌食になってもしょうがない。でもそのつけは利用者にまわされるのだ。旧態依然とした思考と体制でどう世界に伍していくのだろう。ところでこれだけケンカを売れば買う方もいると思うが、その反撃、再反撃の丁々発止の内容も知りたいものだ。いつも著者が勝っているわけでもあるまい。負けっぷりと負け方、事後処理法も勉強したいものだ。ただし、OJISANは極めて穏やかな人と言われ、争いを避け、争いから逃げる生き方をしてきたしまらない人間であるから教訓を生かす場はないだろう。

★『魔が解き放たれる夜に』新潮社 06・11・20                                   ☆文庫本のアメリカンミステリー。原題は「Daddys Little Girl」、著者はメアリ・H・クラーク。犯人は最初から分かっている。でも、夢中になって読んでしまった。犯罪被害にあった家族が家庭崩壊に至る過程や心理が哀切に描かれている。だが、アメリカ人は強い。少しずつ立ち直り、態勢を整えて犯人に反撃をしていく。しかもその反撃のしかたがインターネットのウェブサイトをつかうという手法で、アメリカだって(アメリカだからこそ)このやり方は個人攻撃そのもので、訴訟の国アメリカであればまちがうとひどい敗北につながるとは思うのだが、小説上では事実を突きつけて犯人を浮き上がらせて次第に追いつめていく流れが新鮮である。これ映画にならないのかな。OJISANはいい小説を読むとすぐ映画にならないのかと考えてしまう。影像ならどう描かれるかと想像してしまうのだ。

★『小さな星の奇蹟』新潮文庫 06・11・21                                    ☆OJISANの読書録に読後感を載せるつもりもなかった200頁ばかりの文庫本のミステリー。読み始めてからふと見たら作者はメアリ・H・クラークだった。なんという偶然だろうか。前日読んだミステリーが良かったのでこれ以後この本の読み方も気合いが入った。内容は将来を嘱望された18歳のヴァイオリニストが進退窮まって捨てた赤ん坊、その子を拾った小悪党、詐欺師、大金持ちだがつつましく心暖かい老夫婦などが絡み合って物語が展開するハート・ウォーミング・ミステリーだ。もちろんハッピー・エンドだよ。OJISANはひねくれ者だが単純でもある。こういう筋立ての物語は大好きだ。ちょっとハラハラするけど結論は絶対いいと安心できるからね。ミステリーは「不安」がなければ面白くないなどと考える人は心の根っこにそれを求める変異性があるのだ(まあ、OJISANもそうだが)。作者のメアリ・H・クラークのことも少し分かった。若いころ愛する人と死別したりして、別離の悲しみをよく知っている人だ。「ハイジ」のヨハナ・スビリもそうだけど特別悲しい経験をした人の方がハート・ウォーミングな物語が書けて、しかも読者に訴えるものがあるのは不思議です。

★『プリズン・ガール』ポプラ社 06・12・22                                   ☆著者有村朋美さんはニューヨーク留学中ロシアン・マフィアの大物ドラッグ・ディーラーと恋に落ち、つきあい始めた。しかし、そのことで麻薬取引に関与したとしてFBIに逮捕された。裁判の結果は懲役二年の有罪で、連邦刑務所に収監される。本書は保釈までの22ヶ月の女子刑務所囚人体験記である。

 またまた刑務所ドキュメント。OJISANの得意な読書分野である。今回は女性の受刑体験記でしかも場所はアメリカと来ているからちょっと異色である。でもアメリカの刑務所って良いところだ。(と思ってしまう)食事はバラエティに富み、量も多く、たいていの女性受刑者は太る。クラブ活動あり、勉強でき、監房に閉じこめられず自由。著者も大学の女子寮のノリで生活を楽しんだ?ようだ。OJISANの読書内体験によれば、入るなら1にアメリカの連邦刑務所、2にイギリス、3に最悪フランスはサンテ刑務所だ。日本の刑務所は刑務官が優秀すぎて管理がうるさい。しかし、比較的安全かな。ほんとうに国によって刑務所事情も様々である。映画「ミッドナイト・エキスプレス」みたいな恐怖の刑務所もあるし、そんなに甘くはない。これはどこでも同じだ。入らないで読書で比較検討できる幸せをかみしめたい。

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『「つながり」という危ない快楽』筑摩書房 

★『「つながり」という危ない快楽』筑摩書房 06・10・31                                  ☆奇妙な題だが分類すれば評論だと思う。内容は最近評判の「格差社会」を団塊ジュニア、オタク、ひきこもり、下流社会といったキーワードでつないで論じている。前半は理屈っぽくてわかりにくい。OJISANはそういう部分はすっ飛ばすことにしているからますます分からなくなる。しかし、後半は著者(速水由紀子)の時代感覚や分析力が冴えていると感じた。特に第五章の「団塊ジュニアがデス・ノートのL的エリートとなるために必要な覚醒術」という長い章で論じている内容にOJISANは注目した。それにしてもこの著者は長い題名が好きだね。

この2.3年評論分野で新しい人がどんどん出ていると感じる。「負け犬の遠吠え」の酒井順子、「下流社会」の三浦 展、「希望格差社会」の山田昌弘、そしてこの本の著者というように互いの主張とつながりあったりつつきあったりして社会、経済・文化等を裁断するさまはなかなかの活況だと思う。日本社会の分析は絶えず更新されるだろうからこの人たちの将来が楽しみなので名前を記録しておきたい。

★『パリ・サンテ刑務所』集英社 06・11・4                                   ☆世界の有名刑務所というとシンシン刑務所とかアルカトラズ刑務所などを思い浮かべる。このサンテ刑務所もまた名門刑務所として由緒正しい存在である。ポール・ヴェルレーヌ、アンリ・ルソー、アポリネール、ボナール、モーリス・トレーズなどそうそうたる有名人がご厄介になっている。この本には「主任女医7年間の記録」というサブ・タイトルがついているのが注目点である。男だけを収容する刑務所に女性医師というのはただごとではない。しかも読めばこの刑務所が一種の地獄であると著者ヴェロニック・ヴァスール女史は告発している。この地獄に7年間滞在し、微細に観察してきた著者の神経の強靱さを窺わせる。刑務所なのにそこで日常展開されるのは殺人、暴行、麻薬、異常性愛、精神異常など塀の内側にいる全ての人間を巻き込み一般社会以上の異常世界である。OJISANは残念ながら経験はないので頭の中だけの(主に日本の刑務所の)知識で比較してみても日本の刑務所などサンテ刑務所の凄さに比べれば初等少年院みたいなものだ。OJISANだったら半日ももたない。フランスでは絶対身を慎もうと思う。ただし、ヴァスール女史のこの報告によりさすがフランス政府もやばいと感じたらしく2000年以降はずいぶん環境が改善されたらしい。

★『レッドパージ・ハリウッド』作品社 06・11・8                                 ☆華やかな世界と憧れのスターを生み出し、映画を撮って人々に喜んでもらい、金を儲けというように映画にうつつを抜かしていればなべてこの世はこともなしのごときハリウッドも暗く沈鬱な時代があった。人々が隣人友人を疑い密告が奨励され、追放された人々が人目を避けて路地をこそこそと歩くまるで映画のような時代がアメリカにあった。帯に書いてあるように、この本は1950年代の「ハリウッド・テン」に象徴される「赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝」である。なかでもドルトン・トランボが中心のようだ。トランボは「ジョニーは戦場に行った」や「黒い牡牛」や「ローマの休日」の脚本を書いた。中には名前を隠して書いたのもある。追放されていたからだ。アメリカのような民主主義国でも人の狂気は醸成される。怖いことだ。だがその狂気に抵抗した人々がいた。しかもたくさん。アメリカの民主主義の強靱さがよく分かる。さてこの本だが、もの凄い専門性を持っている。聞いたこと見たことのある俳優や監督の名前も多いが同時に全然知らない人物も山ほど出てくる。ハリウッドと非米活動委員会の歴史を詳細に明かしているのだがあまりに詳細すぎてOJISANは少しお手上げをし、ところどころ飛ばした。著者は上島春彦という人で原作があってその翻訳かと思ったら自分でまとめたのだ。すごい人だ。

★『炎と闇の帝国』白水社 06・11・11                                    ☆副題に「ゲッベルスとその妻マグダ」とあるようにナチスの宣伝相だったゲッベルス夫妻を中心としたナチス・ドイツ人物伝である。それぞれ平凡であるはずの人間たちが時代の狭間に偶然はまりこんで人生を変えていく。それが個人だけのことであればよいのだが、ドイツ国民はおろか全世界の人々を引きずり込んで展開していく。それにしてもヒトラーとかナチス党にどれほどの魅力があったのだろうか。みんなが惹きつけられ、まともに実態を吟味しないままに支持し、操られ、共に滅んでいくことのどうしようもなさにむなしい気持ちになる。マグダという女性も美人で気だてが良く支えてくれる男性たちも人間味豊かである。むろんナチスの男たちも彼女には優しいが内心は野獣である。(悪魔だろうか)それに気がつかないどころか同調し、最後は殉死にまで至る不思議さをこの本から感じた。著者は前川道介という人で、この名はどこかで見かけたと思うが思い出せない。しかし、ナチス・ドイツに生きた人々の深奥に迫っていると思う。

★『ローザ・パークス自伝』潮ライブラリー 06・11・16                            ☆OJISANはつい最近までこの勇気ある女性の名前を知らなかった。知ったのは昨年NHKで「ローザ・パークス物語」という映画をみてからだ。アメリカにおける黒人差別撤廃の運動家と言ったらマーチン・ルーサー・キング牧師ぐらいという実におそまつな知識が恥ずかしいくらいだ。見えない多くの人々が理想の実現を目指して戦っていた。戦い方は非暴力主義。アメリカ南部というと暴力地帯(という偏見を持つが)で理想を掲げた黒人や白人がたくさん犠牲になった。しかし、勝利した大きな原動力は非暴力という皮肉な要因による。現象面から見ると暴力に対する「非暴力」はもの凄い勇気を必要とすると思う。こういうときいつも思うのだが、自分だったらどういう態度をとるだろうかと言うこと。いつも情けない自分を想像してしまう情けなさ。そのくらい勇気を出すのは難しいことだ。OJISANは最初に勇気を出した人々を無条件に尊敬する。

 

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『破産しない国イタリア』平凡社新書

★『破産しない国イタリア』平凡社新書 06年8月23日                                ☆イタリアはもう何十年も前から危ないと言われていた。OJISANはずっと前からイタリアがどうなるか関心を持っていた。(経済的に)ダメな国がどうなっていくか見極め、そういう国でどういう生き方をすれば生き残れるかをつかみ、イタリアの後を追う日本で少しでも安楽に暮らしたいというジコチューが背景にあった。しかし、イタリア国民はしぶとい。いつのまにか危ない国は日本である。しかもかなり深刻だ。イタリア国民は政府を認めているが当てにしていない。自分のことは自分で始末する覚悟でたくましい。日本国民は政府を批判しながらも頼りにし、当てにしている。その当てのしかたはただ口をあんぐり開けてえさを待っているひな鳥のごとくである。だが、この本によるとたくましいイタリアにはイタリアの問題がある。日本人からするとその生活のたくましさや要領の良さは小悪党的な要素さえ感じる。だまされたり、巻き上げられる方がバカであり間抜けだという雰囲気である。最近の日本も「振り込め詐欺」とかリフォーム詐欺とか各種金融詐欺とか、当初はその悪辣さに怒りを覚えたもののだんだん被害者もしっかりしろよと言いたい気分になったり、被害者のあまりの甘さに腹が立ってくるという状況にある。この本からイタリア人は苦しい状況にいい加減だが明るくたくましく対処している印象を持った。日本人はまじめで、悲観的で、暗い。イタリア的が良いとは思わないが、これからは日本人も一人一人が自立の精神を基本とし、未来志向と少しの互助精神に支えられた生き方を指向するのがいいのではないかと思った。

★『人間をめぐる「幽霊」の話』文芸社 06年8月26日                                ☆筆者は槙本有吾氏でOJISANは聞いたことがない名である。筆者が〈僕は、幽霊や神仏という切り口から「人間の不思議」というテーマを掘り下げるための作戦を立てた〉と書いているように単なるキワモノではない。幽霊を否定も肯定もせず科学と非科学の両輪を意識しつつ「幽霊を見てしまう人間」の不思議を具体的に論じている。したがって話は幽霊にとどまらず哲学、宗教、民俗学から超心理学、脳科学に至るまで幅広い。なるべく客観的に不可思議な現象の謎を説明しつつもなお解明できない謎は多いというのだ。この姿勢は好感が持てる。真面目で興味本位のウケは狙っていない。人間の死の瞬間と死の後に何が待っているかを科学的に解明するのはほとんど不可能だと思うが、キューブラー・ロスをはじめとして多くの科学者が研究すればするほど人智を超えた世界を意識するのはなぜなのだろう。そして当然その世界を知りたいと渇望するのは深海や宇宙を知りたいと渇望する思いと同じなのである。こう書くだけで「こいつもまた怪しい奴だ」という評価をいただく世の中なのだが、その方法としてヘミシンク(またはヘミ・シンク)を体験してみたいと思う。

★『近所がうるさい!』ベスト新書 06年8月30日                                ☆ご近所騒音トラブルの恐怖についてのシリアスなドキュメント。著者は橋本典久氏。最近では有名な「騒音おばさん」が世間の注目を浴びたけれど、昭和40年代前半の団地ピアノ殺人事件に代表されるようにご近所の騒音騒ぎが原因で殺人にまで発展する事件が近年さらに増加している現状が紹介される。OJISANも一時期家庭で家族の出す騒音にものすごく敏感になっていた時期があって、なぜあんなに激怒したのか今も不思議だが(この本を読み)あのころOJISANは家族から完全に浮き上がっており、家族関係のねじれが音過敏の原因だったと納得した。音の問題は被害者、加害者がいがみ合うとそれぞれ過敏になってどんどんこじれるということだ。ご近所騒音は日本だけのことかと思ったら諸外国もなかなかのモノだということも分かった。では解決法はと言うと抗議、決議、裁判、暴力、殺人といろいろあるがそれぞれ難点がある。著者は結論として一番の解決法は「気にしないこと」を提案している。その理由を読んでいくとなるほどと思う。それに加えて「悪意と誠意」の問題なので近所のつきあいを大切にすることだが、これは対策の2番目で一番はやっぱり「気にしないこと」だ。OJISANは自分の出す音には留意しつつも外部からの音には鈍感になるように修行しようと思う。

★『ベラボーな生活』朝日新聞社 06年9月4日                                    ☆芥川賞作家玄侑宗久さんの「禅道場の非常識な日々」を回想した随筆である。禅寺の修行なんて座禅だけしていればいいのかと思っていたがそんなに単純なモノではなかった。入門、日常、動作、修養、言語全てに禅的な意味があり奥深いことを知った。そのことを平易な文章で説明したり紹介してくれるのでその場にいなくても大まかなことは理解できた。ただし修行は結構つらいのだ。そのことは文章を読んだだけでは表面的にしか分からず、したがって禅寺修行の本質にも迫れない。もっと知りたければ禅僧入門しかないのだが、本によれば入門者の半数は脱落するそうだからそんなに甘くない。もちろんOJISANは脱落する側であると自信を持って言える。でもね、こういう世界にあこがれはあるのだよ。憧れだけはね。

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『世界の日本人ジョーク集』中公新書

★『世界の日本人ジョーク集』中公新書 06年7月12日                                  ☆日本人は他の国の人からどう見られているか結構気にする民族だ。OJISANなんかもその一人としてずっと前から日本人論が好きだ。関心の始まりは「日本人とユダヤ人」あたりからだからかなり古いつもりだ。それから土井健郎の「甘えの構造」なども頷けるところが多かった。もっと古くは西欧に留学した漱石や鴎外の近代日本を舞台とした小説群も別の視点での日本人論だと見ることができる。このジョーク集は以上のような著作に比べればずっと軽いノリだが、「冗談は、しばしば真実を伝える手段として役立つ」とフランシス・ベーコンは言ったそうで、OJISANもまさにそう思う。なにも深刻に考えてみることでもない。動物の中で笑えるのは人間だけだ。笑って多少でも人間の本質を窺うことができればこんなに楽なことはない。エスニック・ジョークの中の日本人のキーワードは「まじめ・金持ち・勤勉・最先端技術・英語下手・神秘的」だそうで世界の人から比較的好意的に見られていると思うけれど、OJISANサイドで見ると日本人て幅とかゆとりがない民族と感じる。

★『全地球凍結』集英社新書 06年7月13日                                       ☆著者は川上紳一という地球科学者である。内容は地球46億年と言われる歴史の中で地球が何度か全凍結したことがあり、最近?では7億年くらい前に凍結したのではないかという仮説のレポートである。話しは壮大で面白いがとにかく難解な解説である。地質学上の解析から始まって磁場とか地軸とか炭酸塩岩などという用語群、それに数々の図表など専門用語と作業仮説のオンパレードですぐに理解の努力を放棄した。でもありうることだと思う。彗星の衝突で恐竜が絶滅したとか、南極は熱帯だったとか、ヒマラヤはむかし海底だったとか、大陸漂移説とかこのごろはなんでもありの状態だから。あと残すのは宇宙人が来ていたとか、来るとかということぐらいかな。楽しみに待ってるぜ。

★『「人間嫌い」の言い分』光文社新書 06年7月17日                            ☆「人間嫌い」というとまず奇人変人のたぐい、扱いにくい、時には怖い存在、そして孤独というイメージだが筆者長山靖生氏は自分は根っからの人間嫌いであり、その人間嫌いの立場から迫害の歴史と現状を説明する。その上で「人間嫌い」こそが真の主体性を持った存在であって、個人生活上も人間嫌いを標榜することで束縛を離れ、ラクな生き方ができるのだと説いている。OJISANも長らく人間が好きでなければつとまらないカンパニーに所属していたこともあって「人間大好き人間・つるみ系」と信じていたが、ときどき実体は「人間嫌い・孤独」な存在ではないのかと懐疑することも多かったのでこの書物を読んでハタと膝を打つ(なんと古い言い回しだ)ことが結構あった。リタイアし、熟年離婚予備軍として孤独な生活をしながら今後の生活設計を熟慮しているOJISANにとってはたいへんためになり勇気づけられる本であった。著者の凄い博識と人間洞察から、実は人間嫌いではなくて「人間嫌いモドキ」とか「人間嫌い好き」ではないかと思う。流れるような詩的・論理的文章とウィットもすばらしいことをつけ加えておく。 

★『下流社会』光文社新書 06年7月20日                                       ☆ベストセラーとなった本。著者は三浦 展。新聞等の書評で内容と主張の展開は読んでいたので目新しさを感じなかった。しかし、着目した社会変貌の推移はよく分かる。多くの日本人がうすうす感じていた状況をはっきりと示したからだ。ホリエモン事件や村上ファンド事件、あるいはセレブとかニートといった用語に象徴されるような階層分化の到来だ。OJISANはたぶん長い間中流だったと思う。だが今や完全な下流に属する。でも食えないわけではない。生きられないわけでもない。ニートのように向上心がないわけでもない。そんなに先はないけれどささやかに楽しむことは楽しみ、世相や人間の生業に関心を持ち、ジタバタしながら生きていく。それがOJISANの生きた証だ。 

★『CIA 失敗の研究』文春新書 06年7月30日                                ☆OJISANのように小説を読みふけり、架空の世界に浸りきっている人間にとって特にわくわくする架空体験というものがある。なかでもスパイの世界に引きつけられる。「外套と短剣」そして美女と陰謀と冒険、死と生の全てか詰め込まれたスペシャル・ジャンクフードだ。この本はそうした架空世界とはまた違った事実の醜さと面白さがある。アメリカのCIAは巨大な諜報機関だが、この本によればもはや「太った豚」に過ぎない。比喩的に表現したが、あまりにも失敗が多すぎる。たぶん原因はその機構が巨大化しすぎて血が巡っていないとしか言いようがない。この世界では成功例が語られることはないそうだが、それにしても情けない感じがする。ふつう失敗学は成功を導くための学問だが、CIAの失敗を論評したこの本について言えば、CIAに前途はないようだ。残念ながらスパイの世界も色あせてきた。

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『戦士たちの挽歌』角川書店 06年7月3日

 原題は「The Veteran」フレデリック・フォーサイスの短編小説集だ。五編納められているが最後の「時をこえる風」(Whispering Wind)という短編が心に残った。不思議な話だ。ファンタジィと言ってもいい。西部開拓時代全滅した第七騎兵隊カスター隊のインディアン・スカウトで唯一生き残った青年が主人公だ。白人とインディアン、自然と文明、現代と過去が複雑に絡み合って構成され、次第に幻想的な世界に満たされていく。単純には怪奇談、或いは幽霊話とも言えるが、それだけにはとどまらない。基調をなすのは哀切な恋の道行きだからだ。その意味では図らずしてきわめて日本人的な心情に通じる物語かもしれない。読後もまだ荒野に愛し合う男女の魂が彷徨っている感慨を覚える。

フレデリック・フォーサイスと言えば、「ジャッカルの日」だが、長い間ずっと気にかかっていたことがある。そして最近自分なりに結論したことがある。映画「ジャッカルの日」の暗殺者は最後まで正体不明のままに終わる。気にかけていたのはエドワード・フォックスの演ずるその暗殺者の歩き方である。非常に姿勢が良く、背筋を伸ばして一動作ごとの手足はほんのわずか外側に向けられる。この歩き方はきびきびしてどこか武張って元気よく見える。最初エドワード・フォックスの歩き方はひどくキザに思えた。それだけなのだが同時にどこかで見たことがある歩き方なのだ。しばらく前からあの動作はイギリス軍将兵の歩き方ではないかと思いついた。その典型を我々は、アレック・ギネスの「戦場に架ける橋」で見ることができる。イギリス近衛連隊衛兵交代式の行進もこのスタイルだ。長々と根拠を説明したが、つまり軍隊で訓練した動作は消そうとして消せず、無意識にも現れる。フレッド・ジンネマン監督は正体不明のジャッカルの正体の断片としてこの暗殺者はかつてSAS或いはイギリス陸軍にかなりの期間在籍していたとエドワード・フォックスの歩き方で示唆しているのではないかと思い至ったのだ。

OJISANはとにかく暇なのだ。

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『中高年のこころの健康学』金子書房

  • ★『中高年のこころの健康学』金子書房 06年6月15日                               ☆まだ少壮気鋭の心理学者だった本明 寛の書いた本がOJISANの読んだ最初の心理学本だ。その先生がもう88歳だそうだ。そうだよね。OJISANだって63歳だもの。

 さて、この書物、表も写真もイラストもない文字だけの素っ気なさだが内容には味がある。米寿まで生きて全てにおいてさらに深みを増してきたに違いない。OJISANもこの年になると本明先生の書かれていること一つ一つが身に沁みて分かるのだ。なかでも中高年の生き方として、「こだわりを持つな・自分の思い通りに事は運ばない・上を向いて歩かない・過去にこだわらない・自分を悪者にしない・未来を思い煩わない」などの言葉の意味は若い人たちよりずっと深く理解できる。というより、同じ言葉でも世界が違うのだ。我々は中高年の世界で生きている。励まされる本だ。先生の言うように身を処していこうと思う。しかし、それが中高年の哀しいところなのだが、身に沁みるのもいっときですぐ忘れてしまう。かくしていつまでもじたばたして生きるOJISANなのだ。

★『射程圏』早川書房 06年6月18日                                         ☆J・C・ポロックのクライム&アクションアドベンチャー小説。OJISANは最近このポロックの作品にはまっている。なかなか面白いのだ。昔は、アリステア・マクリーンとかエバン・ハンターとかイアン・フレミングとかに相当入れ込んでいたが、もう久しくこの手の小説から遠ざかっていた。なぜならOJISANの関心が現実の出来事に移っていたからだ。つまり、「事実は小説よりも奇なり」の方ですよ。で、つい先頃同じポロックの「終極の標的」を読んで昔の感覚がよみがったわけだ。同じアクションアドベンチャーでもずいぶん変わってしまった。昔は戦争とか政治がらみが多かったけれど最近はギャングとかマフィアだものね。それに主人公はおおむねモラルが希薄だ。(と書いたからと言ってOJISANは道徳謹厳居士ではない)小説なのに作中にガンビーノ・ファミリイとかゴッティとか実在の名前まで出しちゃって臨場感は増すけれど大丈夫なのかねえ。頭に二発食らって水溜まりに転がってるなんてことないかな。この小説映画にならないのかと思ったがあとがきによるとクエンティン・タランティーノが映画化権を買ったそうだ。この映画見たかなぁ、ごちゃごちゃに見ているから忘れてしまった。

★『リンク』徳間書店 06年6月22日                                          ☆作者はウォルト・ベッカー。サイエンス・フィクションに分類されるだろう。内容はミッシング・リンクの謎の解明で、現世人類の進化は高度の文明を持つ宇宙人によってもたらされたとする説を基本にして、マッド・サイエンティストの主人公たちが大冒険をするという話だ。おもしろく飽きさせない。久しくノン・フィクションこそ社会と人間の本質を伝えると考えていたOJISANは、最近またフィクションの分野に戻ってきた。時代とともにテーマも小説技法も変わってきたからだ。新しい世界が進展している。              ところで、現世人類の進化(発生)はいつなのかは確かに大きな謎だ。高度の文明を持った宇宙人創造説は現在は荒唐無稽視されているがOJISANは排除できないと思う。過去に荒唐無稽として完全に異端視された例はたくさんあるからだ。シュリーマンもヴェーゲナーにしてもダーウィンにしても過去にはそういう扱いだったからだ。ダーウィンなど現在でも西欧諸国の一部では排除されている。現代はデニケンやハンコックが大捏造家扱いされているが、その彼等がいつ先覚者になるか分からない。本質の解明は突然起こるからだ。それまでは謎と事実と空想の堆積のはざまで楽しむのもいいではないか。

★『戦場の現在』集英社新書 06年7月27日                                     ☆著者の加藤健二郎氏は紛争地域専門のジャーナリストだ。学生時代から「戦場」に非常に興味があったそうで、最初は仏外人部隊に志願したが視力不足で不合格となった。諦めきれず各地の紛争地帯に潜り込むうちに生業として現地報告を報道機関に売り込むフリーのジャーナリストになった経歴を持つ。普通の感覚では忌避したい戦場体験に挑戦するという感覚は理解しがたいが、OJISANは、著者が「極端な非日常」に身を置きたいという冒険心からだろうと推測するしかない。仏外人部隊には日本人の部隊員が4,50人くらいいるらしい。他の国の志願者は生活のためとか除隊後のフランス国籍取得を狙うためなどの目的があるらしいが、日本人はそれがない。とすれば、平和国家日本に飽き、あえて危険な環境に身を置いてアイデンティティを確かめたいのだろうか。そんな哲学的な目的はないと思うので、武勇を誇りたいのか、これこそが男の世界と思ってなのかそこのところの心境に非常に興味がある。でも、著者は最後に「戦場体験はもういやだ」と書いている。そうだよな。やっぱりそっちの方がわかりやすい。

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『男の介護』株式会社 法研 

★『男の介護』株式会社 法研 06年6月9日                          ☆平成10年の出版だからずいぶん前のことだ。シリーズものの一冊で地味な本だがとてもいい本だ。著者は竹永睦男という人。定年前に仕事を辞め家族を残して老親の介護のため故郷鹿児島に移り住み、そこで経験した「男の介護」から見えてきた様々な問題を提起し、解決の方策を提案している。著者の状況がちょっとOJISANと似ているし(似てないかな)、なによりも介護についてOJISANが迷い、悩み、心配していることをさらっと示して「あんたの心配していることはこんなことだろ、だったらこんな風にしてみたら」と具体的に提示してくれる。たぶんあまり注目されなかっただろうが、OJISANにとっては心を救ってくれる名著だ。

  著者竹永さんは、要介護者と介護者の両方にわたってその問題を紹介したり論じているわけだが、いずれも経験に裏付けられており実際的でわかりやすい。とりわけOJISANが惹かれるのは介護者のこころの在り方を論じている部分だ。この部分もまた実践的である。

 例えば竹永さんは、新聞の「人間の生涯は仕事に就くこと、子どもを育てること、親を看取ることの三つのことをすればいいんだ。」というコラムの言葉を紹介して迷いのあるOJISANのこころを安心させてくれる。孤立しない介護にするためにはどうすればいいか教えてくれる。介護者の心配はOJISANだけではないんだと励ましてくれる。特に「介護の責任の重さから脱するために」の部分では一生懸命面倒見ているのに、世間の人が誤解したらどうしようと心配しているOJISANに安心を与えてくれる。「介護は人生を見直すチャンスと考える」の部分は、不安なOJISAN自身の今の生き方に重なって介護は実は人生の最高の学校なのだと納得させてくれる。OJISANには全く自信がないのだけれども最後の「親のスタイルを最後まで尊重する介護を」にも共鳴した。OJISANは母を見ていてとにかくとりあえず生きていれば何も望まないのだが、それでもなお「生きている価値とか価値ある生き方、そしていい死に方」を願っていて、つくづく考えてしまうからだ。

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『生きて死ぬ知恵』小学館

★『生きて死ぬ知恵』小学館 06年5月11日                                     ☆生命科学者の柳澤桂子さんが般若心経を現代語訳した。たった47頁の本である。冒頭の「ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ほんとうは野の花のようにわたしたちも生きられるのです もし あなたが 目も見えず 耳も聞こえず 味わうこともできず 触覚もなかったら あなたは 自分の存在を どのように感じるでしょうか これが「空」の感覚です」ということばがこころに残る。般若心経の訳が新鮮だった。OJISANにはここに書かれていることばが良く分かる。感動する。これは人生や病気に苦しんで苦しんだ人たちがそれでもなおかつ生きて悟り得た言葉だと思う。高僧が死を覚悟した厳しい修行の結果たどりつく境地だと思う。だから平凡な人間であるOJISANは本当にその意味する深淵にはとても近づけない。この悟りや境地は永遠のあこがれである。何度も何度もくりかえし読み込もう。

★『ヒトラー・最後の12日間』岩波書店 06年5月13日                               ☆この本はヒトラーの女性秘書ゲルトラウト・ユンゲの回想録をもとにしたドイツ映画「ヒトラー・最後の12日間」と同じ題名であるが、著者はヨアヒム・フェストのものである。ヒトラーものの著作はたくさん読んできた。その最期の記憶は目撃者たちの間でも食い違いが目立つ。いずれの著作も迫真に満ちていると感じる。死してなおあの時代のこの人物は何だったのかと考え込ませる。ヒトラーは当時のドイツ国民の絶大な支持を得て登場した。ドイツ国民がこの怪物をつくったのだ。そしてこの人物は自分が滅亡するとき国そのもの、国民と財産と歴史までともに滅亡することを望んだ。おぞましく見てはならないものを見てみたい魅力をもつが、わずか60年前のことである。狂気の破壊者が残した教訓を忘れてはならない。

★『五十歳からの断水(尿閉)』郁朋社 06年5月20日                                ☆さかい進という人が著者。前立腺肥大で尿閉と手術に至る汗と涙と恐怖と幸福の記録である。この人実に正直かつ率直にことの顛末を書いてくださっている。なぜ「正直かつ率直」と言えるのかというとOJISANもかつてこの本の内容と全く同じ経験をしており、その経過と感想は我がことのようであったからよく分かるのである。たいへんだよ、尿閉は。手術の状況も全く同じ。医師、看護婦さんの働きぶりもそのとおりだった。この人まじめそうだし、とても良い人のように感じる。OJISANの体験と重ね合わせてみるとなにしろ人に見せたくないところを全て開チンして腹も据わり、人生観も多少変わったのではないかと思う。良い体験をしたと思う。

★『留魂録』新潮社 06年5月31日                                           ☆吉田松陰が処刑前日に記したとされる遺書とその解説を読む。かねてより尊敬する人物であり、「留魂録」の存在も知っていたが正直のところ読後それほどの感銘はなかった。OJISANは松蔭が全生涯わずか30年の間に実際に生きて働き、人々を突き動かしたその行動力と影響力の凄さそのものに感動している。この実人生の輝きの方が衝撃的だった。留魂録は松蔭の信念と覚悟を論理的に説明している文書として受け止めたい。ただ、死を翌日に予想している松蔭の平常心は驚嘆すべきことでありその死生観に勇気づけられる。どうしてこのような境地にたどり着けるのかただため息をつくだけである。

★『ペリー提督 海洋人の肖像』講談社原題新書 06年6月4日                          ☆鎖国日本に開国を迫った黒船艦隊を率いたマシュー・ペリーの評伝である。ペリーの黒船来航は日本にとって未曾有の衝撃であった。しかしそれでも西欧による植民地獲得競争末期にその意図はどうあれ、ペリーが来航に当たって未知の国であった日本を研究し、知識を持っていたが故に戦略的でかつ穏やかなファースト・コンタクトであったことがこの本から分かる。日本は幸運であった。歴史的な出来事だけでなく、ペリーの一族や家族、そして彼の人生等を包括的に知ることができた。

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『詩経国風上下』岩波書店 中国詩人選集

★『詩経国風上・下』岩波書店 中国詩人選集  06年5月5日                           ☆あしかけ三年をかけて上下二巻を読み終わった。文字通り原文と対照しながら書き下し文と現代訳を音読した。3年もかかったのは途中何ヶ月も放り出していた時期が何度もあったからである。読むのに精一杯でその真髄に迫ることなどとてもできない。さっぱり分からないと言ってもよい。でも、満足だ。なにしろ「詩経」を読んだのだ。注釈者の吉川幸次郎先生はすごい人だ。その先生が注釈の拠り所にした中国の「朱子」も凄い人だとわかった。

★『終極の標的』早川書房 06年5月6日                                        ☆原題は「ENDGAME」作者はJ・C・ポロック。スパイ&ピカレスク&アクションアドベンチャー小説だ。久しぶりに面白かった。登場人物は普通に考えれば全て悪党。CIAの幹部が自分の活動と私腹を肥やすために偽造した偽札スーパーK(またはスーパーノート)を横取りした主人公たちと入り乱れての大活劇という話だ。2000年ころの作品だがスーパーKという名が出てくるのに最近大騒ぎの北朝鮮関連の言葉は出てこない。そのころは関連が疑われていたけれど確信が持てなかったのだろう。これ映画にならなかったのかな。けっこう面白いものになったと思うのだが。

★『フセインに捕らわれた50日』新潮社 06年5月7日                                ☆ジョン・ピーターズとジョン・ニコルという二人の英国空軍の戦闘機パイロットの手記という形を取っている。このふたり湾岸戦争の初期にイラク上空で撃墜されて捕虜としてイラク放送のテレビに出ていた。暴行を受けたことがありありと分かる映像だった。面白いのは本の表紙にそれが使われていること。かっこわるいけれどこのように戦い、義務を果たしたということの表明だろう。イラク側にしてみれば爆弾を落とされ、機銃掃射で追いかけ回される恐怖を味わったわけだから殺したいほどの扱いになるのはしかたがない。野蛮だという方も野蛮だし、これが戦争というものだ。捕虜になった恐怖が正直に述べられ、敵側の対敵宣伝協力を強制される(これでテレビに出た)のだが、捕虜解放後にはおとがめなし。丁重に扱われて現役復帰はとていもいい。日本軍みたいに死ぬほど戦って捕虜になったらその身は三界に居場所なしなんてそりゃないでしょ。自衛隊は「捕虜になったら・・・」教育してるのかしら。

★『ジェフリー・アーチャー獄中記 煉獄篇』角川書店 06年5月9日                            ☆原題は「Jeffrey Archer A prison Diary Ⅱ」筆者は元英国保守党大物下院議員にして有名小説家ジェフリー・アーチャー。議員時代に偽証罪で有罪となり、実刑四年を宣告され下獄した。しかし、転んでもタダでは起きない。いわゆる刑務所モノだがこれが結構面白いのだ。思わず読み込んでしまった。さすがベストセラー作家の筆力だと思う。OJISANは半年前にこれのⅠ「地獄篇」も読んでいる。まさかⅡを読めるとは思わなかった。それにしても伝え聞く日本の刑務所とは大違い。食事はメニューが選べるし、監房同士行き来ができるから、日本の懲役囚ならいやがる独房希望者が多い。読めば、麻薬類の持ち込みも、吸引も知らないのは看守だけみたいにおおっぴらだ。これでいいのだろうか。仕事も希望者以外させないし天国ではないか。そういえば、続いてⅢの「天国篇」もあるそうで、探して読んでみるかなー。

★『黒いスイス』新潮新書 06年5月12日                                       ☆発行は2004年3月だから少し古い。なにやら小説風の題名だが小説ではない。平和国家と観光のイメージしかないスイスもけっこうワルの国だったと具体的事例をあげて論じている本。主として第二次世界大戦中だがスイスはロマ民族の子どもを親から引き離す政策を採ったとか、ナチスに迫害されたユダヤ難民を拒絶したとか、核兵器製造計画があったとか、マネー・ロンダリングの闇だとかその他いろいろな点でイメージと全然逆なことをやっていたと提示・論評を加えている。しかし、どこの国だって過去の歴史をほじくれば汚点の一つや二つは絶対ある。国益はきれいごとでは保持されない。冷徹な国際政治や外交の過程の小さな失策はありうる。それよりも大国に囲まれて、侵略せず、侵略されず、独立と平和と国民の生活を守りきったしたたかさを失敗した日本は見習うべきではないかとOJISANは思う。それはそれとして、事実は確かにおもしろい。

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『グーグル完全活用本』三笠書房 知的生き方文庫

★『グーグル完全活用本』三笠書房 知的生き方文庫 06年4月16日                      ☆数日前に書店で目にしていた。その時は購入しなかったが、その後羽田で出発を待つ間に買った。グーグルは圧倒的な情報量を持つ検索サイトで「グーグル」とは10の100乗を意味する「GOOGOL ゴーゴル」にちなんでつけられたと本に書いてある。読んだだけでは「すごいなー、べんりだなー」で終わりだからこれから解説にしたがって活用ワザを試してみる。OJISANのことだからどうせいくつか試したらそれで満足してしまい極めることはないのだ。でも、さあ!やるぞという直前の快感がたまらなくいい。リタイア直後に所蔵していた全ての辞書、辞典、専門書、学術書、雑誌を捨てて、以後読書は図書館、必要な知識は検索サイトに頼ることにした。だからグーグルもヤフーも日々に覗くのが楽しみだ。もっと好奇心の枠と幅を広げたい。

★『デキゴトロジーVOL9 【ホントだからやってらんねえの巻】週刊朝日 新潮文庫 06年4月22日      ☆この本は公立図書館で廃棄を決定し、希望者に譲渡する展示会でもらった。「デキゴトロジー」は週刊朝日に掲載されて20年以上経過しているのではないかな。OJISANはその最初からの読者だ。始まったころは、有数の硬派週刊誌とこの現実離れした内容のアンバランスにとまどったが、生来ハチャメチャ話が好きなので、すぐ抵抗感はなくなった。やや大げさにしてもいろんな出来事といろんな人がいるものだと思う。ニッポンは平和だ。しかもこの本で9巻目だからこの国のひとはいったいどうなってんのと思うが、自分もその一人だから笑うしかない。ヨタ話のタネはつきない。笑って読んで翌日には何が書いてあったか大半を忘れてしまう読みっぱなしのデキゴトがいっぱい。

★『スープの本』オレンジ・ページブックス KKオレンジページ 06年4月23日                  ☆BOOK・OFFで105円で購入した。1996年出版わずか50ページだが真新しい。一人暮らしのOJISANとしては料理は必須のWORKだが大いに参考になり、読みっぱなしの本よりずっと身近に置いて折々見入る必要がある。世界の三大スープと言えば、ふかひれスープ・ブイヤベース・トムヤムクンと言われるそうだが、そんなのはOJISANにはハレの日に食する高級料理だ。もっとありふれてかつやさしい日常料理として役立つレシピが展示されている本だ。すでにミネストローネ、野菜とソーセージのコンソメスープはつくってみた。満足した。以下これからも挑戦の日々。日本のスープ「みそ汁」にはすでに自信がある。料理は楽しい。「男子は厨房に入れ」。創造的で生活に直結したアルティザン的世界が開けている。

★『面白いほどよくわかる般若心経』日本文芸社 06年4月30日                         ☆以前から般若心経に興味を持っていて折り本の教典も持っているが、申し訳ないことにその教えは全然分からない。さらに申し訳ないことにOJISANの宗教心は非常に心許ない。神社の前を通ればお辞儀ぐらいはするが柏手の打ち方もあいまいだ。クリスマスになればにわかクリスチャン。仏教だと思うが先祖代々の宗派もイマイチはっきりしない。ただ、心は広くどの神仏もありがたいものだと思っている。だいたい般若心経ファンというのも文字数がすくなく、読経が荘厳だという恐ろしく軽薄な理由からだけなのだ。それではあまりにも情けないので表面的でも内容を知りたいという思いは前からあった。「面白いほどよく分かる」とあるとおり少し意味は分かったような気がする。でも絶対深奥には迫れないだろう。まあ、凡人はそれでいいのだと悟っている。 

★『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』詳伝社 06年5月2日                       ☆この本を読んでいま日本が新たな産業を生み出し、世界に注目されつつあることを感じる。その分野に関わる人にとってはとっくの昔に気がついていたことなのだろうがOJISANはうすうすしか感じなかった。それはマンガやアニメをはじめとしたポップ・カルチャーのコンテンツ産業だ。著者の杉山知之氏はこの分野でいかに日本が国際的に優位の競争力を持っているかを具体的に提示している。その産業の基盤は日本人の精神構造と結びつき「わび・さび・萌え」という言葉でまとめている。つい先ほどまで気持ちの悪い存在だった「オタク」は新産業の最先端と言うことになる。最近このミッド・イーストの小国は経済・衣食住・文学・スポーツ・長寿・少子化などなにかと世界から注目されるようになってきた。世界の目が気になるニッポン!この先まだ注目株だ。                  

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