★『ハリウッド100年のアラブ』朝日新聞社 07・6・13 ☆題名のとおりハリウッド映画で描かれたアラブの姿を評論的に解説・紹介した本である。著者は村上由見子氏、副題として「魔法のランプからテロリストまで」とある。
この著者はすごい能力をもった人である。なぜならハリウッド映画世界とアラブ世界の両方に通じていなければ書けない本だからである。しかも日本人なのだ。OJISANも映画は好きだから書中に出てくる映画題名など聞いたり、見たりしたのも多々あるが、ここまで系統的(かつ断片的に)にアラブが描かれたハリウッド映画を網羅しつつアラブの諸相と絡み合わせて論ずる筆力に驚く。OJISANなどここに出てくる映画をただ見るだけで10年はかかってしまう。「アラブ」なーんて簡単に書いているOJISANは何にも知らないからアラブとしか書けないのだ。アラブの人々は映画の中を始め様々な面で西欧の人々に無知蒙昧、野蛮人として貶められてきたようだ。なぜアラブの人々の中で映画好きがいて(ぜったいいると思う)そういう人がこの本の著者のようにアラブ人の手によるアラブ人のための反駁をしないのかとOJISANは思う。宗教、思想、文化が違うと言えばそれまでだが、この数年「アルジャジーラ」といったメディアがアラブ世界に登場し、アラブの人々だけでなく西欧の人々も注目し、尊重までし始めている。その電波に咳き込んでいる国もあるようだ。なのにイスラム原理主義を掲げ、その「理想」の説明方法がテロリズムと言うのでは人々から離反されるだけではないかと思う。アラブ人は古代から文明・文化を創りあげてきたのだ。がんばってほしい。(思わずボケOJISANが熱くなってしまった)
★『裁判狂時代』河出文庫 07・7・20 ☆裁判傍聴マニアによる裁判の諸相および裁判傍聴のポイント解説書である。特にオウム真理教の麻原彰晃裁判が詳述されているところが読みどころ。
OJISANはこのところ立て続けに裁判傍聴記系の本を読んでいる。先日など本屋の店頭に司法、裁判傍聴、裁判官に関する書籍のコーナーまで見かけた。裁判員制度の施行を前に関心が高まっているからだろう。この前は北尾トロ氏、そして今回の著者は阿蘇山大噴火氏でいずれも「変な物書き」族に分類されるだろうが、この裁判コーナーに本が並べられていた。二人ともいずれジャーナリズムの世界で頭角を現してくるだろう。両者とも題名・著者名だけで判断すればふざけているが内容は至ってまじめで、保守的にすら感じてしまう。阿蘇山大噴火氏など非常に素直かつ小市民的な感覚でジャーナリズムに生きる者に必要な批判精神に鋭さがもっと必要なのではないかとまで感じる。裁判所は裁判員制度の啓発をしたいならこの人達の本を配って普及に努めたらどうだろう。へたなポスター、裁判員ビデオより理解が進むんじゃないだろうか。
★『かたき討ち』中公新書 07・6・25 ☆主として江戸期における「敵討ち」という習俗に関する幾多の事例とそれにまつわる日本人の精神構造に迫ろうとする労作。
最近は読書疲れがあって集中できず、ついなかみを飛ばす読み方になっているが、この本については久しぶりに精読してしまった。それほどOJISANは面白かった。この面白さはインタレスティングのおもしろさである。文章はできるだけ読者が事実に迫れるため江戸期の原文を紹介し、意訳付きとは言え易しくはない。それでも江戸期の学者、歴史家、文筆家の言を用い、近現代の文学作品を用い非常に多彩に「仇討ち」をめぐって事実と風説を確認しつつ、多角的に当時(主に江戸初期仇討ちの意識・形式が整ったと思われるころ)の日本人の精神構造を解き明かす。そしてそれは現代日本人の精神構造を追究する資材になるかもしれない。
敵討ち、すなわち復讐の思いはどんな民族・地域にもあるが、ファー・イーストの日本人の精神事情はどうも特殊なところがあるようだ。日本人は命を粗末にする民族で、古くからつまらないことで簡単に命を捨てていると外国人には驚かれ、日本人も受け入れてきた。この本は、そこにいたるまでの心性研究にまで及んでおり、OJISANは最終章の「敵討ちの原像」の~自然な死を求めて~のところで著者が提示した日本人の死生観の源流と思われる考察に「たしかにそうかもしれない」と思ったりする。曰く、「老いたり、病気で死ぬのは不自然な死。苛烈な闘争の末非命の死こそ自然の死」という考察である。OJISANは思うのだが、この考え方を現代にまで敷衍していくと今日の日本の自殺者の多くが老人であることに暗合を見いだす。すなわち我々は老人は老いたり、病気の労苦に絶望して死を選ぶのだと思っているのだが、そしてそれは事実と思うのだが、一方でその底流に老いたり、病気で死ぬのは人として役に立たず、不自然な死を無為に迎えることで、それよりは自ら選択した死を選ぼうとする古来からの死生観が作用しているのではないかと。同じく豊かな国日本の自殺者が極端に多いのも古来から培われた死生観が死にゆく人が気づかずに陰に陽に作用しているのではないかなどと考えてしまう。最近のイスラム・テロリスト?の殉教自爆死とはまた違う死への指向が日本人にはあるようだ。
★『アパルーサの決闘』早川書房 07・6・30 ☆作家はロバート・B・パーカー。西部の無法の町にやってきたお雇い保安官とその助手が知恵と勇気を発揮して町に平和を取り戻してゆく物語。
OJISANは今までアメリカの西部辺境小説を読んだことがない。これが初めてだ。内容は、西部劇描くところの保安官と悪漢の対決、インディアンの襲撃などおきまりのパターンがてんこ盛りに盛り込まれているハナシ。面白くも何ともないと思ったのは最初だけで、途中から投げ出せなくなった。けっこう面白い。保安官はいちおう正義の味方だが、別の保安官を射殺してもおとがめなし。これぞ現実の西部の姿だったのだろう。また、具体的に出てくる女性は娼婦だけ。これがまた堂々としている。それに男達から大事にされている。これもまた往時の西部の実際だったのだろう。映像ではうかがい知れない西部に生きる人々の心理や葛藤などがなんとなく理解できるのも小説の効用だ。単純にして明快な西部劇小説はそれなりに読み甲斐があった。
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