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生きる執着心

 おふくろは89歳になった。身体はよれよれになっている。頭はまだ大丈夫だが、時々怪しい。排泄の不始末を中心に生活のいろいろな面でやっかいが目につき始めている。そういう有様を見ていると自分はこんなにまでなって生きていたくないと思う。しかし、ままならないのが人生だ。おふくろは何を考え、何を感じて生きているのか分からない。もくもくと日々を過ごしている。OJISANも黙々と母親の世話をして過ごしている。その意味では変化のない平穏な日々とも言える。たえず死を前に見据えた平穏だ。老人介護にハッピー・エンドはない。せめて良き死で終わらせたいというのが求める幸せである。

 OJISANは「こんなにまでなって生きていたくない」と書いたが、おふくろもこんなになるまで生きるはずではなかった。海外からの引き揚げ、戦後混乱期の夫との離別、こどもを二人を抱えての必死の生活。いつ死んでもおかしくなかったのだ。おふくろにはそういう予感が明確にあった。だから国民年金も繰り上げでもらってしまい損をした。

 おふくろはただ生きた。生きる執着心など持ちようもなかった状況だったが生きてしまった。それがOJISANも生かした。海外から引き上げの際に子供を捨てた親はたくさんいた。しかし、おふくろは自分も子供も生かした。戦後の生活は子供のことを省みる余裕もなかったが子供に必死に生きる姿を見せることで、こどものOJISANも必死に生き、グレられなかった。中途半端な生活環境で放置されていたら立派な犯罪者になっていただろうと想像することがある。母親が自分でもわからないうちに生きて、生きて、生きたから今日のOJISANがある。たいした人物になったわけではないがOJISANもしぶとく生きている。

 母親が「こんなにまでなって生きた」執着こそOJISANにいいことも悪いこともたくさん経験させるOJISANなりの豊かな人生を与えることになったのだ。排泄の不始末を怒り、おかしな言動にイライラし、この先の見えない世話にやるせない思いを持つとき、OJISANはその根源に母親の「生きる執着心」を見つめて感謝し、あらためて介護の勇気と継続の意志を奮い立たせているのだ。

 

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