母の衰え
いつも変わらずに見える母もやはり衰えてきているのだ。この5月で母は89歳になる。その母の介護を始めて4年目を迎える。はじめは通いで、今は同居してみている。OJISANから見ると母は模範的な老人である。礼儀正しいし、忍耐強いし、矜持を持ち、なるべく人を頼りにしないように努力している。足腰が弱り、難聴で、目も半分見えないにもかかわらずである。同居の当初は母の失敗に目くじらを立てて怒鳴ったりしたこともあったが、母の失敗のたびに実はOJISANも対処に失敗しているのである。
しかし、母の失敗にあわてふためくたびにOJISANは介護のあり方を学んでいる。介護方法というよりも介護者としてのこころのもちようが成長していることを実感するのだ。したがって、いまでは二人の間に波風も立たず、穏やかに日を重ねている。それにもかかわらず母が衰えてきていると感じるのが悲しい。
OJISANは母の介護を通じて、年寄りの相手をすることの楽しさを知った。実に味わい深いのだ。実に暖かい雰囲気なのだ。こちらから呼びかけやアクションを起こせばかならずそれなりに応えてくれる。同居生活も慣れてきて、毎日母とともに大笑い、クスクス笑いがあるゆとりが生まれている。そろそろ自分自身がOJI-SANとなりつつあるOJISANも晩年にはその味が出せるようになるだろうか。よく世間ではひねくれたジジ、ババの話が出るがそういう年寄りはごく少数なのだと思う。
若い人たちがたくさん介護施設で働いているが、あんがいこういう老人たちの命の輝きにふれる楽しみを感じているのかもしれない。母がデイ・サービスでお世話になっている施設にも若い人たちが入れ替わり働いている。「入れ替わり」という表現は辞めていく現実を暗示したつもりだが、意義ある仕事でも食えなければ辞めざるを得ない。介護の仕事に魅力を感じている若者たちに生活できないという現実をつきつけてはいけない。世代間の断絶そのものであるから。
母にはがんばって生きていてほしい。母の衰えを感じて歳だから仕方がないと思う一方で、OJISANのこころには密やかな不安がある。
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