OJISANジーンズを穿く

 OJISANは最近たてつづけに二本もジーンズを買って穿き始めた。57年ぶりである。きっかけはふと気がついたことからだ。なんと街ゆく学生、勤労者を問わず20歳前後の若者たちが仮に10人歩いていたとして6人はジーンズ姿だということ。休日ならその数はもっと増加する。若者だけではない。中高年であっても10人中3人は、いやもっと多数かもしれないおじさんおばさんがあるいは老婆がジーンズを穿いていることに気がついたのだ。気がつくのが遅いと言われれば、OJISANは高齢者の部類で高齢者は得てして時代の動きについて行けないのだと言い訳するしかないが、それにしても環境適応力が衰えているのかもしれない。

 そういうOJISANでもジーンズに関する断片的な知識は持っている。①発祥はアメリカのゴールド・ラッシュの時代、鉱山で働く労働者が安くて丈夫な生地を加工して身に着け始めたらしいこと。(違うかな?) ②藍染めの染料が洗うたびに流れ落ちて白っぽくなること。 ③労働服なので特に擦れるところや布地の曲がるところの色が落ちること。伸縮性に欠けひざの部分が出やすいこと。 ④現代日本では真っ新なのをわざわざ石やヤスリ等の道具でこすり、色落としをしたり、模様状に加工したものがカッコイイとされること。 ⑤したがっていかにも使い古したヨレヨレ状態がヨイモノとされるらしいこと。 ⑥さらに良くするために(高く売るために)ところどころを破いたりすること。 ⑦労働服で、色落ちして、変な模様がついて、使い古しで、ひざ部分が出て破けているジーンズがビンテージと言われていること。(ビンテージって最高級という意味だぜ) ⑧いまやビンテージジーンズを穿いて高級ホテルに入っても追い出されないこと。(でも、宮中や卒業式は無理かもしれない。結婚式は可能か?) ⑨毎年ベスト・ジーニストとか言う人々が選出されていること。 ⑩ジーンズを知らない人、ジーンズを穿かない人は「化石」と呼ばれていること。

 こんな風な時代遅れのOJISANだが、この文章の一行目にさりげなく書いてある文言に注目してもらいたい。今から57年前、昭和30年には実はOJISANはジーンズを穿いていたのだ。証拠の写真もある。(特に強調しておきたい)たぶん日常に着用した人間として戦後もっとも早い例であったろうと自負しているのだ。このときOJISANは小学6年生卒業の年だった。写真の風景は、小学校の校庭の隅っこ、二宮金次郎の石像の下だ。卒業記念に仲の良い友だちと二人丸坊主で(当時の男子はこれが当たり前)肩を組み写っている。注目のOJISANのいでたちを下から描写すると下駄を履き(貧乏だったから足袋・靴下の類は穿いてない)、ジーンズに上着はジャンパーという格好だ。

 ジーンズを詳細に点検すると各所の折り目に擦り痕がついて白っぽくなっている。膝も出ている。ジーンズが大きすぎて引きずるため裾は折り曲げている。白黒写真のため藍色は出ていないが紛れもないジーンズなのである。何よりも当時も今に至るまでもOJISANの記憶にはジーンズの意識しか残っていない。

 実はOJISANは母親の買ってくれたこのジーンズが大嫌いだった。小学生ながらも当時のジーンズが安物でカッコワルイもので、学校の誰もが着たり、穿いたりしていない代物だと分かっていた。母親は安いから買ってきて問答無用でOJISANに穿かせた。拒否すればパンツしかない貧乏な身なので泣く泣く穿いた。せめてもの抵抗で「長すぎて引きずるー」と言ったらデリカシーがなく、めんどくさがり屋の母親は裾をひょいと曲げてハイおしまい。現代のように不登校とか登校拒否と言った意識がなかった時代なのでかくして当時のOJISANは悲劇的ないでたちで通学したのである。たぶんこの経験がトラウマとなってジーンズに対する無関心を意識下で醸成したに違いないとOJISANは分析している。長く続いた暗黒の時を経過してOJISANはいま再びジーンズを穿き始めたが心中は複雑である。出っ腹の自分にジーンズは似合うだろうかと。  

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昇仙峡とほったらかし温泉の旅

spaほったらかし温泉というヘンな名前の温泉が山梨にある。この温泉には以前から興味があり行きたかったが、チャンスがなかった。今回ハトバスの企画をネットで眼にして申し込み、実現することになった。

 朝6時に起きて準備をして7時12分の電車に乗り集合地点の新宿駅西口に向かった。比較的順調に行程を進み到着した。黄色のハトバスが止まっており乗車した。指定の座席の隣にはすでに太めの若い男性が先客で座っていた。この男はOJISANの挨拶にかすかに答えるだけで、2、3度話しかけても短い返事のみで自分から話すことがない。反応がかんばしくないので結局一人がいいのだなと思い、以後話しかけず過ごすことにした。どうもオタク風で話し下手、彼女もいず一人で旅に出たようだ。まあOJISANも一人だし似たようなものだ。しかし、車中の8割は若い女性なのだ。聞きしに勝る温泉指向。若い女たちのオヤジ趣味を目の当たりにした思いだ。

 高速道路を順調に走行していたが90分ほどしてバスの調子が悪くなり代わりのバスを手配して乗り換えるというので、サービス・エリアで1時間ほど待つことになった。前途危うし。  11時に代わりのバスに乗り換え再び出発した。最初に浅間園という観光葡萄園で「葡萄食べ放題」となったが、そんなに食えるものでもない。次に昇仙峡の「ほうとう会館」というところで「ほうとう昼食」をとる。終わって昇仙峡の見学散策は自由にということで観に行く。

 たいしたことがないだろうという根拠のない先入観を打ち破るようになかなかに雄大な奇岩奇勝の渓谷美が展開しているなかを歩き回った。山梨というところは貴石の加工原産地だ。水晶をはじめとしてアメジスト、瑪瑙、翡翠など多種多様な貴石が加工販売されていた。しかし、OJISANは金がないから買わない。わずかに水牛の角を材料にして彫ったフクロウのストラップ飾りを買ったのみだ。値は500円。

 「ほったらかし温泉」に向かったのはもう4時になってからだ。甲府の街を抜けてまた山を登り温泉に着く。名前がいかにもいいかげんだが、おもしろくもある。ここは露天風呂だけで浴槽に浸かりながら富士山の全容姿が見える。眼下には甲府の街も見え、暗くなると甲府の街の灯火がいいらしい。ぬる湯に浸かって30分。富士山は霞むように暗くなるまで見えていた。夕暮れの青空に薄雲がなびいて美しく、天空はあくまで広大だ。北海道の野天温泉を思い出した。とうとう街の灯りがチラチラしだしたころ風呂を上がった。

 あとは帰るばかりだ。隣席のオタク?青年は相変わらず寡黙だが、気のせいかちょっと雰囲気が変わってきた。温泉では偶然かほとんど同じ行動をとってきた。どこに行っても彼と前後するのだ。ようやく隣のオヤジは食いつかないと分かってきたのだろう。たぶんかなりのコミュニケーション下手だと推測する。チャラチャラした若い者が多い中で、実際こういうシャイな若者もいるのだ。もっと自分を出せ。大きな声を出せよ。

 ハトバスはいろいろなものをくれた。ペットボトルのお茶、風呂用のタオル、新潟産のコシヒカリ米パック、などなど。運転手は朴訥なりに折々挨拶や故障の原因説明をしたり、ガイドさんは車内をしきりに歩き回って気を遣ってくれた。参加客の不満も聞こえず、日本人はなんて穏やかなんだと改めて思った。バスは故障したけれどけっこう良い旅だったと思う。

 新宿に着いたのは午後8時半だ。隣のシャイな青年も別れの挨拶をしてくれた。家に着いたのは午後10時だ。疲れたー。

 

 

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ソウルに行ってきた

 初めてソウルに行ってきた。今までスペインとかイタリアとかヨーロッパ優先だった。近い隣の国も見ず、何も知らないのちょっとと思っていたので出かけたわけだ。2泊3日の旅で隣国を知ったつもりで一文を書こうというのだからOJISANも天才か馬鹿のどちらかであるが、もちろん答えは後者である。OJISANだって身の程は知っているので徹底的な「独断と偏見」を記すことになる覚悟である。というより厚顔無恥な無責任OJISANのたわごとと割り切った方がOJISAN自身も、この文章を読んでくれる変わった人にとっても気が楽だ。

 今回のOJISANの見たい、行きたいところはソウルの王宮「昌徳宮」と明洞一帯とNANTAと南大門市場めぐりに限ったのであるからして純粋な観光旅行である。訪問国の政治経済、国情を語る何の要素もない。それにもかかわらずなんか書いちゃおうというのだからさらに「恐るべき」を頭につけて厚顔無恥な無責任OJISANの戯言であることを再び強調しておきたい。

 明洞は活気にあふれていた。雑然・雑多・混沌と形容してもよいと思う。秩序を好むある種の人々は眉をひそめるかもしれないが、けっこう人間というのはこういう猥雑な環境に惹かれるものである。集まりたいのである。猥雑と書いたからと行ってソウルを誹るわけではない。OJISANはいまこういう雰囲気こそソウルのみならず韓国中にあふれていると思った。もっと決定的な発展に向けてスタート上に人々が横一線に立っている証拠になる状態と感じた。参加したい者は誰でも加えてもらえる発展である。例えば、両側に小綺麗な店が並ぶ道の真ん中には出店がある。既得権が確定している日本では小綺麗な店に迷惑がられ、結局は排除される店がない者もほとんど身一つで商いしている。あるおばさんは道ばたに畳半分ぐらいのスペースを占めて煎餅みたいなものを焼いて?売っていた。誰も排除しない。公的機関が区割りしてこういうおばさんにも場所を与えているのであればすばらしいし、日本のようなテキヤのカシラが所場割りをしているのであればこういう農家のおばさん風にも商売の場所を配慮しているのもなんか目が潤むような温かい心配りではないか。貧しくても、格差があっても成否は別としてやる気があればその場を拒否されない自由があるのが今の韓国かと思う。

 時間が余ったので南山にケーブル・カーで上ってソウル市街を望んで驚いた。至る所高層建築(4、5階以上として)ばかりだ。世界で一番高層建築の多い町ではないかと思う。北朝鮮のわずかにもたらされる映像を通してだが死の街としか感じられないようなピョンヤンの町並みとは比べものにならない。北朝鮮とはもう明々白々な差がついてしまった。

 金正日氏はもっぱら長年にわたって独裁を維持する才能を注目されている。その権力維持が驚嘆されているわけだ。しかし、金正日氏の身になって考えてみよう。普通独裁者というのは自分が一番だが、一応支配下にある国民の幸せを願って政治を執ると思う。金正日氏も「国民に米を食わせたい」とか言っていたこともある。いま、活気のソウルと死の街ピョンヤンを金正日氏が対比したとき、自分と閣僚たちがいかに無能かを痛切に感じ、国民を食わせられない屈辱と焦燥に苛まれないではいられないはずである。つまり、金正日氏は独裁者としても、その立場にある為政者としても、個人としてもあまり幸せではない。と言うことが出来る。とは言え、政治執権者としての哲学がOJISANの信じる為政者像とかけ離れているのなら金正日氏は少しも苦しくないのであろう。

 どうだ!これがOJISANの2泊3日の観光旅行を基にした独断と偏見だ。金正日氏もビックリ!笑って顎がはずれるかもしれない。自分でもオカシイと思う感じもするのでもうやめよう。眠くなってきたし。

 

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感動すること

 東北大震災が発生してからそろそろ二ヶ月が経とうとしている。大津波によって家々が破壊され、流されている映像を見ていると好奇心や驚嘆や恐怖、胸の痛さ、苦しさ。ついにはなにやら物狂をしい思いにまで到達してしまう。精神の騒乱を一挙に経験する思いだ。余りに自然の猛威が凄いとそれで失われていく人間の命も含めて自然の営みが淡々と展開されているようである。そして、全てが終わった後に命を失った人々への傷ましい思いがのしかかってくる。大川小学校の児童がなぜ70人あまりも死ななければならなかったのか。なぜ二万数千人の人間が死ななければならなかったのか。もちろん現実の答えは分かっている。だが、本当のところは分かっていないのだ。古来より大災害に遭ってきた日本人は悲嘆の後は「あきらめ」によって運命を受け流し、復興のあゆみを始め再生してきた。

 OJISANは、このところ「胸がじーんとする」とか「涙ぐむ」ことが多くなった。老年になって神経が鈍麻するはずなのにこの繊細さはどうしたことだと思ったりする。しかし、OJISANには分かっている。これには答えがある。

 はじめは大災害の映像や報道のなかにぽつり、ぽつりと織り込まれ、あとにはあんな話こんな話とどんどん伝えられる人間の勇気や他を思いやる暖かい話がしだいに数を増してきた。根性が曲がっているOJISANは自然に負けそうな人間や社会を励ますためにマスコミの意図によってこうした話がかき集められていると考えた。だからシラけようと思った。しかし、こころを動かす話が多すぎる。しかもそれらはいちいち事実なのだ。

 自分が流されるまで津波避難の放送を続けた町の職員。従業員を避難させてから死んだ経営者。子どもたちを励ます先生たち。逃げ遅れた人たちに呼びかける必死の声。幾千もの他を思いやる言葉。避難所で人々に語りかける天皇・皇后両陛下。街頭で募金を呼びかける少年野球チーム。炊き出しに出かけたたくさんの芸能人。芸や歌で被災者を励ます芸能人。自分の持っている特技で被災者のこころを癒そうとする人々。被災地が受け入れるのに大変くらいの膨大なボランティアたち。こぞって大量かつ無償の商品を拠出する企業。億単位の義援金を出すお金持ちたち。こんな話が無数に伝えられ、つきつけられるので皮肉屋で平静を装うOJISANもつい感動してしまいもう何十回も感情あらわに涙ぐむ始末になってしまった。日本人は「自然」には今回も負けてしまったが、人間としては負けなかったのかもしれない。

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雑司ヶ谷墓地

 池袋の西武百貨店の横を歩いていると「雑司ヶ谷墓地」に行く道の表示が小さく立っているのに気がついた。雑司ヶ谷墓地には有名人の墓が多いことを知っていたので何もすることがない風来OJISANはお墓でも見に行ってみるかと足を向ける気になった。思ったより池袋駅から近く、ここらへんらしいというところまで辿り着いたが、頭上には大通りに沿うように高速道路があって、ここではないということは明らかであった。そこで見当をつけて横町に入り住宅街を歩いていると前方に木々が茂り、目当ての墓地があると思えた。でも、そこにはパトカーがとまり、交番があっておまわりさんが立っている。墓地の入り口が分からないのでおまわりさんに聞くと「すぐそこだよ」と横を指してくれた。それから「墓地を見に来たのかい?」と聞かれたのでそうですと答えると《雑司ヶ谷霊園MAP》なるパンフレットをくれた。この交番はOJISANのようなキマグレンタイが多数突き当たっているようだ。オシッコを振りかける場所を探している犬のような【にわか墓地フェチ】にまで親切な日本のおまわりさんに感謝しつつ墓地巡りが始まる。

 おまわりさんがくれたパンフのおかげで永井荷風先生のお墓がすぐ見つかった。生け垣に囲まれてひっそりしていたが雑草も生い茂ってなく訪れる人も多いに違いない。荷風先生は死んでからも孤独ではなかった。竹林無想庵先生の墓もすぐ分かったが何の感慨もなし。ジャーナリストだったらしいという程度のOJISANの知識じゃしょうがない。小泉八雲先生の墓は見つからない。(見つけられない)萩野吟子先生の墓も見つけられない。霊園MAPでは白亜の彫像が建っているはずなのだが分からない。OJISANの目はフシ穴である。このあたりからOJISANの意識は混濁してきたらしい。もう誰でもいい無目的に墓地をウロウロするばかりである。記憶は断片的である。それでも羽仁もと子先生の墓は大きく立派だったと覚えている。初代 江戸や猫八師匠の墓があった。金田一京助先生のお墓も見つけた。

 こうしておよそ3時間も墓地内をさまよったのである。しかし、その日はOJISANのような墓地フェチが意外に少なかった。お参りしている人も見なかった。OJISANは墓地ってそんなに見て歩く場所でもないよなーとこのときになって気がついたのだ。無数の霊体はこの夢遊病者のようなOJISANの行動に眉をひそめたに違いない。

 それでもOJISANは最大の目的である夏目漱石先生のお墓は見つけた。正確に言うと実はたまたまいた墓守のような方に聞いたのである。「あっちだよ」と指さしてくれたが目が泳いでいることに気がついたその方は、OJISANの手からMAPを取り上げて懇切丁寧に方向を番号で言って目印まで言ってくれたが半分くらいしか分からなかった。それでも漱石先生のお墓にたどり着けたのは運命としか言いようがない。長年尊敬し続けたおかげであると思う。漱石先生のお墓は墓地の一等地にあって大きかった。OJISANは漱石先生のお墓の前に立って写真を撮った。写真を撮ったのは漱石先生だけである。いかにOJISANが漱石先生を尊敬しているか分かってもらいたい。まあ、そうはいってもOJISANは「坊ちゃん」と「こころ」ぐらいしか読んでない。まったく不肖のファンなのだ。その証拠に写真を撮ったあと墓前に手を合わせることもなく帰りかけ、気がついてあわてておざなりなお参りをしただけでその場を去った。きっと漱石先生は「もう くるな!」と言ったことであろう。

 OJISANは万歩計を身につけている。この日は16000歩も歩いた。疲れた-。

 

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東日本大震災に関連して考えたこと

 東日本大震災で亡くなられた多くの方たちのご冥福をお祈りし、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。・・・・・・・どんなことよりも最初に書いたこと以上に哀切きわまる事柄はないのですけれども、市井に暮らす一員として2011年3月11日から数週間自分はどんなことを感じていたのかをひとつふたつささやかに書き残してみたいと思う。

 大震災の直後は地震なかんずく大津波の惨禍が伝えられ、映像ではこれでもかというぐらい各地の津波や破壊の跡が映し出され、つい見続けているといつのまにかPTSDになりそうな「酔い」に支配されつつあるのを感じて見るのを止めた。ただスマトラ沖地震のときのプーケットの街で津波が人々を押し流すような場面が今回はなくて良かった。たぶんそういうところは意図的にカットしたと思うが、死にゆく人々の顔を見てしまうつらさは軽減される。まして、肉親がそれを見てしまったらそのあとの長い記憶の地獄を思うからなおのことである。

 地震と津波が一段落すると今はもっぱら原発の事故。これは長丁場になりそうである。だが、OJISANの関心は電力会社の社長さんのことにある。事故発生直後に記者会見に一回だけ姿を見せ、数日は事故処理の指揮を執っていたようだがすぐにダウンして姿を現さない。海外紙は「社長はどこ行った」と不審がっている。体調回復したと伝えられたら次は入院した。日本では政治・経済社会のトップ層でこういうことが時々起こる。どんな業界でもトップというのはこんな時こそ先頭にいなければならないのに情けない。文藝春秋12月号では小林麻耶ちゃんを相手に「中長期成長宣言2020ビジョン」を英語と数字を使って流ちょうに説明しているよ。この人能吏型だと思う。平和なときは舌先三寸、権謀術数を発揮してうまく立ち回り頭角を表すタイプじゃないかな。平時にはこういう人でも務まるけどいったん緩急あるときは直ちに腰が引けてしまう。たぶんどうしていいか分からないんだろう。雲隠れする。嵐が収まると出てきてあのとき自分はこうやって頑張っていたんだなどと言いそうだ。だから、入院してしまっても「もう限界ですから身を引きます」とは言わない。再起したいわけだ。無理だろうけれど。こんな社長の下で事故現場を戦っている従業員は可哀想だ。しかも、退職した元社員まで駆けつけていると聞く。こっちの人たちの方がずっとエライ!OJISANは人の批判は書かないことにしているのだが1000人に一人ぐらいは書きたいと思うことがある。

 大震災後2日ぐらいしたらなんかトイレット・ペーパーのパックを抱えて歩いている女性が目につく。スーパーに行ったらいつもより人がたくさん並んでいる。食パンを買いたかったがまだ朝10時だというのにもうない。さては大震災で買い置きだなと感づいた。ちょっと気がつくのが遅い。遅いながらせめて乾電池でもと買いに行ったらもうない。米もない。インスタント・ラーメンもない。牛乳もない。水までない。そのあと3週間スーパーもコンビニも棚の一部分がガラあきだ。今日はヨーグルトと納豆の棚がガラあきだ。アメリカでは放射能のチリが飛んできたとか、中国では放射能防護に「塩が有効」なんてことで買い占め騒動が起きたそうで「どうして?」なんて笑っちゃう。「大災害に日本人は冷静」なんて海外では褒められているそうだがそのわりには日本人もヘンだ!

 実は懐中電灯用の単一乾電池を買うことが出来て一安心。次はインスタント・ラーメンだ。OJISANは周回遅れのヘンな日本人さ。しかもドジだ。

 

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『死ぬときに人はどうなる 10の質問』

 買ってまで読む価値がある本か悩んで買った本だが、実に良い本だ!特に前半の死にゆく人たちのエピソードは感動するよ。泣けるよ!人間って本当にすばらしいって思えるよ!

 人は必ず死ぬ。自分もいつかは死ぬ。どう死んでいくのだろうか。という命題が近頃頭をかすめるようになったOJISANが(ケチゆえに)考えに考えた末買った本だ。アタリ!だった。これでも本好きなOJISANのこれまでの数少ないアタリの一冊になった。(ちょっと褒めすぎかな)あくまでOJISANにとってのよい本ですよ。OJISANも68歳になった。身の回りの知っている人も死に始めた。新聞の死亡欄に出ている有名人も同年代であるのに死ぬ人が多くなった。この歳になると昔の人は後生の幸いを願って寺参りなどに熱心になったようだが、OJISANは不信心者で、死を恐れて(仏に向かわず)本に向かって恐れの解消を図っている。たぶん死ぬときは本の内容などすっかり忘れてきっとジタバタするに違いない。あー、イヤダ、イヤダ。

 筆者は大津秀一。緩和医療医だそうである。ちょっと学究的論文の理屈っぽさと翻訳文のあいのこみたいな妙な味わいのある筆致であるが、真剣に死の淵に望む人たちと家族の思いを汲み取っていることが分かる文章だ。絶対的な真実を見つめてきた経験に裏打ちされている近頃まれな本だと思う。

 

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『桜田門外ノ変』

 久しぶりにシネコンに映画を見に行った。平日であるが意外に人は多い。だが中高年男女が多い。~やっぱり若い人は見ないやね。最近の若い人は幕末だとか明治維新なんて興味ないだろうしー。なんか今の若い人は甘いハート・ウォーミングな映画ばっかり見たがる草食系が多くなっているからなー。歴女なんてのがもてはやされるのも変だしー。だいたい女は地図と時間は読めない頭脳構造になってるんだよ。~などと偏見にあふれた頭の中であちこち蹴飛ばし、ついでに自分も階段に向こう脛を打ちつけて呻きながら座席に座った。さい先はよくない。

 まず、映画のクライマックスは桜田門外の大乱闘に至るのがたぶん平凡ではあるが常道だと思う。しかし、この作品は意表を突いて早々と桜田門外の襲撃を描き、しかるのちにその後の関係者の成り行きを描く「桜田門外ノ変・その後」というストーリーだ。場面を見て自分なりに気がついた点をいくつか書いてみたい。その①井伊家屋敷から桜田門の現場までの距離が近すぎる。これだけ近いと大騒ぎの騒音が井伊の屋敷に届かないはずがない。でもだれも屋敷から出てこない。実際に桜田門あたりに立って周囲を見ると井伊の屋敷までは騒音が聞こえない程度のかなりの距離があると思う。そのうえ(余計なことだが)雪が降ると遮音効果となり音は伝わらないものだ。雪国の人はそのことをよく知っている。たぶんオープン・セットの面積と予算が十分とれなくて大名屋敷の家々や塀などを延長できなかったのだろう。現場感覚からすると惜しいことだ。その②通常は、登城する諸大名を見物する武鑑を持った武士とか庶民がけっこういるそうだ。ところが場面を見ると襲撃者ばっかりだ。客観的に見て、これじゃ道の脇にいるのは目をつり上げたテロリストばかりですよと表しているようなものだ。その③ある史実書では襲撃の瞬間井伊大老に直訴を装って機先を制するのは関鉄之介であったとある。ところが映画では森某となっている。映画では関鉄之介が主役クラスだから便宜的配置かな。ほんとうはどっちだ。ま、どうでもいいか。OJISANだって自信があるわけではない。上から目線で、エラソーに細かいことを監督ゴメンナサイ。しかし、ついでだもうひとつ。日時や人名の列記、事件の経過など説明付きでなーんか教科書みたいな映画でもある。

 OJISANがいいなと思ったことはこの映画が武士の精神や所作をきっちり描いたこと。武士たちが自己の命を鴻毛のように軽く思い、扱い、自己の信ずる大義のために捨てた時代であることは現代の我々の想像以上だ。そのことがよく分かる作品である。重厚な映画を見た。諸書を読めば幕末・明治維新に至るまでの関係者の暗殺、闘死、処刑、戦死、自死はものすごい数に上る。事件は毎日のように発生した。まさに革命の時代であったと思う。もう日本史上二度とないことであろう。

 普段は自分の影に驚くぐらい実に臆病で情けないOJISANであるが久方ぶりに想像上の壮士となって剣を振るったので腹が減った。

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OJISANの戦艦「三笠」と「横須賀軍港めぐり」

 だいぶ前から日本海海戦時の帝国海軍旗艦「三笠」を見学したいと思っていて念願を叶えた。堂々とした軍艦でかなりデカイ。歴史的な経緯は知っていたが、艦内の展示資料を見て海戦の凄さを感じることができた。特に東郷平八郎提督と幕僚たちが何の防護もない、艦橋の前方で「戦死確率最大」と思われる場所において緒戦から指揮を執り続ける覚悟が凄い。

 縦横5メートル四方くらいの青天井の場所で一発命中したり、破片が散乱したりしただけで全員戦死確実である。三笠を実際に見に行って知ったことだが、実は立つ足の下には厚さ30数センチの鉄壁で囲われた戦闘指揮所がある。東郷提督はそれを利用せず海戦の決着がつくまでその場から一歩も動かなかったという。戦闘が終わり動いた東郷提督の靴の下は海水に濡れず乾いていたという話があるがそれはできすぎた話だ。それくらい微動だにしなかったと受け取るのがいいと思う。しかし、ロシアのロジェストウェンスキーはどこにいたのだろう。

 指揮官が安全な場所でなくもっとも危険な場所にいることくらい部下が奮い立つことはない。一番分の悪いところにいて死ぬのは俺が一番最初だよと暗黙のうちに言われているようなものだ。トラファルガー海戦でもネルソンはふきっさらしの甲板に立ち指揮して戦死した。それまでにも片手をなくし、片目をなくす戦闘経験をしていたにもかかわらず恐怖に打ち勝ち部下に敢闘精神の範を示した。

 日露戦争までの日本軍隊は上も下もすぐれた人間性を有していた。今はもうそれらの精神性はロマンの世界に行ってしまったのではないか。三笠を見てそんなことを考えた。

 戦艦三笠を見学してから三笠公園の記念品売り場の人に聞いたおいしい「海軍カレー」のお店で昼食を取った。アメリカ由来のネイビーバーガーは時間と腹具合に都合がつかずパスした。それから汐入桟橋まで歩き、さらにヴェルニー公園を散策した。

 午後2時になったので桟橋に戻り、最終の「横須賀軍港めぐり」クルーズの船に乗り軍港一周に出発。自衛隊の潜水艦やイージス艦を目の前に見たり、海上自衛隊司令部と諸々の自衛艦を眺めて帰港した。その日の朝は雨模様だったが午後にはすっかり晴れ渡ったので45分間船の甲板上にいただけで顔も腕も目に見えて日に焼けてしまった。クルーズ船上から丸見えの海上戦闘艦艇の数々をみてこの風景のなかで突如奇襲攻撃を受けたら全滅だななどとふと真珠湾の故事を思った。それでなくたって港を囲む陸上のマンションにゲリラや特殊部隊が潜み、ミサイルを持ち込んで有事に撃ち込まれたら百発百中だ。真珠湾よりはるかにヤバイよ。なんて考え過ぎかな。

 軍港というと秘密のベールに包まれた物々しさを想像していたが、開けっぴろげで平和で穏やかそのものであった。それでいいのかもしれない。

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OJISAN-萩の街歩き(ちょっと司馬遼太郎ふうに)

 萩の街は静かで人通りも少なかった。萩駅から道が続く中心街とおぼしきところも今やおなじみのシャッター街と化していた。人々はどこにいるのかと訝ったが歩いているうちに巨大スーパーや全国展開の有名店に囲われたような広場があり駐車場もあり人々はそこに集まっていた。そういうところを2箇所発見した。歴史を埋めている街は本当に歴史の中に眠ってしまっているようであった。生けるポンペイのような街をよしとするべきか、悲しむべきとするべきかOJISANには分からない。ただOJISANは萩が本当に生きていたある一時期の人々の歴史の営みと面影を求めてやってきたのだ。

pen5月16日吉田松陰先生の事蹟を訪ねて旧松本村を巡った。OJISANはその人が歴史上の有名人であるから「吉田松陰」と呼び捨てにしていたが萩の街の人々は「松陰先生」と言う。尊敬の念が尋常でない。まだ、「松陰先生」は隣に住んでいるようだ。未だに萩の街外れといった位置にある松本に松陰神社がある。閑静なところだ。至誠館はその境内にある。死の前夜に書かれた「留魂録」の全文を初めて読んだ。OJISANの今までの知識と至誠館の資料から松陰が至誠の人であることは間違いない。信念に生きて死を怖れず、過激であって論理の人である。OJISANにとって問題はそうした人格がわずか25歳から30歳の身のうちに養われ、蓄えられていることであり常人とは思えない。まさに驚嘆するしかない。その思いは多くの萩人も持ったであろう。日本人はそうした昇華した存在に神を感じる。松陰神社はだから神社を建立して祀るのだということがはっきりわかる例である。

 松陰神社の背後に点在する伊藤博文の旧居・別邸、松陰の叔父玉木文之進の旧居、松陰の誕生地・墓所、高杉晋作を始めとする維新の功労者の墓等全てを見学した。訪れる人はほとんどなくその道程は静まりかえっていた。

fullmoon5月17日萩の城下町を巡った。戦災に遭わなかったのだろう。江戸時代の町並みがそのまま残ったようなたたずまいは珍しいのではないか。高杉晋作旧居、木戸孝允旧居、そして周布家長屋門など門を潜ってそのまま家の中には入れる見学許容度もおおらかだ。家々の庭には夏みかんがたくさん実っている。そういえば商店には網袋に詰め込まれた夏みかんが売られていた。武家屋敷の並ぶ道は陽光が射している。時にはずっと先まで人ひとりの姿も見えず静まりかえっている様子はここが観光地とは思えない。たまに姿の見える観光客の声も屋敷の壁や通路に吸い込まれるように密やかである。

 今年は坂本龍馬がトレンドで高知は賑わっているそうだが、高知など龍馬の家は残っていないし、龍馬像は桂浜まで行かなければならない。ただし、行けば一見に値するが。はりまや橋は欄干だけである。しかし、萩では未だに歴史が眠る昼下がりを歩けるのだ。

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OJISAN-夜行高速バスに乗る

 OJISANは長い間漠然と吉田松陰先生やその弟子たちなど明治維新の発源地の一つとなった山口県萩市を訪ねたいと思っていた。母の介護をしていて当分無理だなと考えていたが返ってそのことが私の背中を押した。母がいるから何もできないと考えるとその背後には、「母のせいで何もできない。母は厄介な障害物、自分を束縛する憎たらしい存在」という発想になりかねない。母も良く、自分も良い生活にしなければならないとしばらく前から考えるようになっていたので母のショート・ステイを機会に行けないかもしれないと思っていた萩市行きを決めたのだ。

 母の介護という障害のため行けそうもないという悲観的発想を変えたけれど、調べてみるとこの首都圏から萩市への旅は結構大変だということが分かってきた。余りに遠すぎる。新幹線で行っても新山口で乗り換えたあとが結構面倒だ。再び躊躇したけれど、ひょっと思いついて高速バスならどうかとインターネットで調べてみたらあったのだ。防長交通のバスで東京駅から萩市までバッチリ直通である。値段も往復で2万5千円余りと安い。貧乏なOJISANにはうれしい金額である。問題は時間がかかることで、東京駅19時30分発到着は翌日朝の9時54分。だいたい14時間だ。高速バス初体験でいきなり全国2番目に長いという路線に挑戦することになる。自分の身体が保つだろうか。これでも高齢者見習いの身である。座りっぱなしならバスでもエコノミー症候群になるというし、OJISANには下肢静脈瘤なる持病もある。結局考えた対応策はひとつ。エコノミー症候群にならないために血栓を溶かすというナットウキナーゼ菌を体内に取り込むことにした。具体的には出発の2時間前に自宅で納豆パックふたつを食べていく非常にアナログな対策でナットクすることにしたのだ。ここまでが出発までの経過である。

 出発の1時間も前に乗り場に着いた。水分の補給も怠りなくポカリスェットのペットボトルとおにぎり・お菓子も買い込んだ。待つことしばらくしてバスが入ってきた。「防長交通」の文字が意味もなくうれしい。大バッグはトランクに預け、小バッグを車内に持ち込む。乗客は定員28名のところ15、6人。意外に少ない。そうか連休も終わってこんなものなのか。OJISANの後ろは空席だ。これで思いっきり席を倒していける。窓はもうすべてカーテンで覆われスキマから外の光が洩れている。車内にはトイレもある。これで万一下痢をしても大丈夫だ。安心しているウチに出発時間が来てバスは動き出す。いろいろ説明のアナウンスがある。富士宮インターでリフレッシュ・タイムの降車があるそうだ。

 座席は3列。通路が2列あるから隣への気遣いはかなり軽減されると感じる。OJISANは長身短足という矛盾した体型のためやっぱり座りにくい。上半身が重いので時間が経過すると下にズリ下がってくるのだ。シートベルトで座席に固定すると動かせるのは手足の先と頭だけである。顔を上に向けたまま寝ていくのだ。OJISANは顔を上に向けて寝るとイビキが極大にひどくなるので、到着までに乗客に暗殺されるかもしれない。ひどく心配だがしかたがない。高速道路といってもバスは滑るようには走らない。上下左右に大きく揺れ、身体にガタガタと小刻みなジャブをくれる。とても寝られたものではない。それに血栓を予防するために足を時々動かす必要がある。水も飲まなければならない。水を飲めばトイレにも行く。無料のコーヒーとウーロン茶も飲みに行きたい。いろいろ今夜は忙しくなるかもしれない。これであれば暗殺者の殺気も察知できるかもしれない。これが夜行高速バスの生活の紹介である。だが、寝るに寝れずジタバタしつつ時を過ごすOJISANもいつしか意識を失ったようである。そのときもバスはひた走りに走っていたのである。あこがれの萩に向かって。

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『坂本龍馬展』に行く

 江戸東京博物館で特別展示されている「坂本龍馬展」を見に行った。これなら人が集まるだろうとただいま放送中のNHKドラマ「龍馬伝」のヒットに乗っかった企画の気分はちょっとミー・ハーだが、本物の龍馬は福山雅治のように甘い顔はしていない。むしろ渋い魅力である。実際、坂本龍馬としては時代の故もあって27歳を過ぎてからはいつなんどき失策によって自ら死ぬはめになるか、殺されるはめになるか分からないことを常に自覚していなければならなかった。死ぬまで目尻を下げてニヤけている閑はなかったのである。これは疲れることだろう。そして、33歳で天運が尽きた。

 坂本龍馬は幼い頃は寝小便をしつづけ、子供仲間からは「ヨバレタレ」とからかわれ、弱虫で泣き虫だった。あきれた家族が(特に姉の乙女が)なんとか武士らしくなるように剣道場などに通わせているうちに身体も常人以上に大きくなり、自信もついて、性格の良さも養われてきたものと思う。それが維新回天の偉業に生きた。日本人はこういう人物が好きである。何という特徴もない平凡な自分と重ね合わせることができるからである。OJISANが出かけたときは月曜日であるが展示会場は混んでいた。龍馬の魅力が人々をここに足を運ばせたと思いたい。NHKのドラマのせいだけではない。

 龍馬展を観ていくと、坂本龍馬の人間関係が実に豊かなのに気がつかされる。上は大名の殿様から下は妻お龍の母親・妹に至るまで濃やかな心遣いを見せているのが残された手紙の端々から窺われる。大業をなす人は大胆かつ繊細でなければならない。人を大切にしなければならない。

 かくして後の人々は坂本龍馬を敬慕する。明治維新に至るまでのターニング・ポイントとなるいくつかの事蹟を成し遂げて非業の最期を遂げ、残されたのは清冽な人格の記憶だけである。もし、龍馬が明治維新後まで生き延びたとしたら盟友である井上 馨や山県有朋のように汚濁に生きてなにかと悪評にさらされることにならなかっただろうか。すべからく真の英雄は夭折する運命を生きることになるのは残念である。

 今を遡ること50数年前の秋、OJISANは高等学校の修学旅行で京都にいた。旅行最終日生徒たちは夕べに京都駅に各自集合する指示であった。OJISANは最後の目的地を霊山護国神社にし級友とふたりで暗闇に近いなか忘れ去られたような坂本龍馬と中岡慎太郎の石の墓標を目の前に観ていた。近くに社務所があった。灯火がもれていた。声をかけたが誰も出ない。戸を開けると灯火の下、畳の上に盆に茶道具が置いてあった。OJISANは級友と二人ただ黙したまま茶を飲んで辞した。いまあのときの歴史に沈んだような龍馬の墓のたたずまいを思うと実に隔世の感がするのである。 

 

 

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『96時間』

 この映画はDVDで見た。内容は単純明快。パリに旅行中の愛娘を売春組織に誘拐された元秘密情報部員が大活躍の末とりもどすという筋で、この元秘密情報部員がめっぽう強く、運にも恵まれ、全然危なげがなくて安心して見られるのだ。そして、単純なんだけれどたいそう面白く、最近のB級?映画の中では出色のデキだと思う。もしかしたらOJISANの感覚がみなさんと全く違うかもしれないが、とにかくOJISANは面白かったのだ。

 それで、主人公を演じるのはリーアム・ニーソン。この人の姿を初めて画面で見たのは、「シンドラーのリスト」である。そんなわけでジミーで重い印象が定着していてとてもこんな活劇に適しているとは思えなかった。年齢だって「シンドラーのリスト」のときすでに40代に見えたから今はたぶん60歳代と思えるが、動きがスバラシイのだ。格闘シーンなんて誰にも負けずキレの良い動作で敵をバッタバッタと殴り倒し、撃ち殺していく。まあ、これは映画だからそんなもんだがOJISANが凄いと思うのは乱闘は後ろで見ている年齢のはずのリーアム・ニーソンがあんなに動けること。思わずうなってしまうくらいだ。嘘だと思ったら見てください。ただし普通こういうタフ・ガイはたいてい1回は上半身くらい裸を見せるのだがリーアム・ニーソンは一度も裸にならない。たぶんシャツの下の胸や腹は年相応にデブってだぶついているに違いない。リーアム・ニーソンは名優である。主人公のイメージを損なう裸体を見せることには含羞があるのだと思う。少なくともそう思うことでOJISANには救いがある。

 名演技と言えば、主人公は仕事のしすぎで妻に愛想を尽かされ、たった一人で孤独に暮らすうら寂しい中年男である。背中の寂しさが実によい。現実に妻にも子供にも愛想を尽かされているOJISANは本当に感情移入をしてしまうのだ。もっともOJISANは主人公よりはるかに弱虫であるところがちがうのだが、そこが全く残念だ。元妻との間にできた娘を溺愛していて娘にはメロメロである。娘も父を愛している。そこのところもOJISANとは違うのが残念だ。

 愛する者は徹底して愛し、憎む者は徹底して容赦しないのもいい。誘拐した娘たちを売買するアンダー・ボスを捕らえて拷問して娘の居場所を吐かせたあと許さず拷問死させてしまうのも起承転結を心得ていて良い。変にいい子ぶらない。主人公はとにかく個性的だがテキの大ボスも個性的だ。この男は(一見紳士の中の紳士風だが)家族を愛し、大切にしているようだ。しかし、それ以外は人間と見ていない。口癖は「これはビジネスだ」だが、どういうビジネスかというとアンダー・ボスが誘拐した娘たちを最終オークションにかけて高値で売るのである。自分の行為が悪であるという自覚はゼーンゼンない。OJISANはこの男にナチスの強制収容所で働いた親衛隊の男を観る。彼らは収容所で子供たちを大量に殺したあと家に帰り、自分の子供はやさしくダッコするのである。神経がない。

 大ボスは追い詰められても「これはビッグ・ビジネスだ」を連発するが、主人公は「オレは個人的(な動機)だ」と言い放って撃ち殺す。冷たいユーモアもあるのだ。書いていけば際限もないのだが、「つまらないことをもう書くな。ついここまで読んできて損した。」と思っている人はたくさんいるだろう。(まちがいなくたくさんいる)したがってもうやめる。でも、この映画は閑で落ち着いた午後にまた観るつもりだ。

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『BIG BOY RULES』

 book著者はスティーブ・ファイナル(日本語訳 伏見威蕃)。タイトルの「BIG BOY RULES」は日本語訳では「戦場の掟」である。イラク戦争時に警備や警護、兵站等の護送など人手の足りない部分を埋めるためにイラクの戦場に於いて正規軍ではないが軍隊に類するものが活動するようになった。それが民間警備会社であり、この本はその組織とそこで働く警備員たちのドキュメンタリーである。ここで言うRULES(掟)とは民間警備会社組織そのものと武装した警備員たちのイラク国内におけるダーティな活動のRULEなきRULEを指すものと思う。また、武装した警備員たちは自分たちの任務を妨害する多数のイラク人を殺した。意味もなく殺す場合もあった。当然イラク人も彼らを憎み、殺すようになった。そうした憎悪の応酬も指すものと思う。

 太平洋戦争で日本はアメリカと戦い徹底的に負けた。多くの仲間を殺された勝者アメリカ軍は日本に進駐し徹底的に日本を蹂躙することが予想されたが、結果的にその占領政策は柔軟で繊細である意味で理想主義的でさえあった。いろいろ意見はあるだろうがアメリカは寛大な勝者であったと思う。日本はほとんど抵抗することなく勝者に従った。そしてアメリカには日本占領は大きな成功体験だったと思う。だからかマスコミが伝えるにはアメリカがイラクに侵攻する前か初期にはイラク占領には日本占領をモデルにすると考えているというような記事を何度か読んだことがある。ところがイラク占領は短期間になされたにもかかわらず平和は訪れずアメリカ軍はイラク人から憎悪され、占領後の方が遙かに多くのアメリカ兵が殺された。イラク国内は内戦状態にまでなった。マスコミ報道等を参考にした素人判断ではアメリカ人のイラク人への対応はイラクとイラク人を知らず実に傲慢で雑なものだと感じる。日本と戦ったときのアメリカ人たちの熱心な日本研究と対応ぶりはどこにいったのであろう。

 アメリカはイラクでたくさんの失敗をしたが、民間警備会社を戦場に導入し、規制も指導もないままに多くの無法の跳梁を許したのは(認めないだろうが)大きな失敗だった。この本によると警備会社に雇用された警備員は数万人に及ぶという。全ての警備員がイラク人に対する虐待に関与したわけではないだろうがイラク人に対しデリカシーのない西欧的振る舞いで彼らの反感を煽るようなことは何十万回となくあったろう。その反感は全中東に拡散していく。アメリカ人の善意と親切、ユーモア、一般的な姿勢などOJISANはとても好きなのだが、多くの地域で反発を受けていることがあることに気がつかない(あるいは気がつかないふりをしている)のは残念なことだ。

 スティーブ・ファイナルの凄いところは実際に何度もイラクに出かけ、現場を見て、民間警備会社で働く警備員にインタビューをしてまとめ上げていく徹底した現場主義にある。この本のクライマックスは5人の警備員が惨殺される事件であるが、著者は殺された者たちに生前会っている。それゆえ取材対象者に対する思い入れも大きいだろうが、感情を抑えて民間警備会社の悪行の数々が若者たちの死につながったことを告発している。さらにもっと大きな背景アメリカ政府の戦争政策への静かだが強い批判になっている。

 

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緊急地震速報の感動

tvあっ!本当に「緊急地震速報」ってやつが実際に効果があるんだということを昨日はじめて体験してOJISANは感動した。

 昨日の午後5時ちょっと過ぎ、つけっぱなしのテレビを前にしてぼんやりしていたら突然聞き覚えのある警報音が鳴って画面には茨城沖とかどっかの地名のテロップが出るとともに地震に注意しろとかの音声が流れた。なにしろ地震恐怖症で地震に敏感なOJISANは直ちに反応してすぐに石油ストーブを見て(ついてなかった)廊下を辿り、ドアを開けて外に出た。歩いているうちにも「近くだし、すぐ来るな」とか思いつつマンションの外廊下の手すり越しにあたりの木々の動きを見守ったが揺れている感覚はない。おかしいなと思いつつさらに数歩移動して外を見ていると足もとも外の木々もユサユサと揺れだした。テレビの緊急速報から30秒ぐらい経っていた。避難に十分な時間である。だいたい震度2か3ぐらいの揺れだと思った。(緊急地震速報が)「当たった。本当に来た。」と思った。「すげーなー本当に日本の地震研究と地震対応がここまで来たんだー。」と実感し、心底から感動した。震度2か3程度の中でなら情けないOJISANもそのくらいのことは考える余裕があるのである。

wave居間に戻ったら発生後4、5分しかたっていないのにテレビではテロップで地震の発生と震源と津波の警告が出ていた。津波の警告はすぐ解除された。震源は茨城沖ではなくて、福島県沖だった。たぶんあわてふためいたOJISANが間違えたのである。茨城よりもここまで少し距離があるので「揺れ」の到達が遅れたのだとナットクした。緊急地震速報は「予報」ではない。だから予報的な期待はできない。でもこれがあれば今までのようなイキナリと違ってかなり対応ができそうだと思う。地震は自分たちが拠って立つ地面が瞬間に揺れるのである。これには絶対慣れることはできない。暴風、洪水とは根本的に違うのである。「油断なく」というのは災害が具体的に眼前に展開し迫るのを見つつ心構えるものだが地震は発生の瞬間が「油断なく」の始まりなのであるから「油断なく」という心構えが根本から通用しないのである。

何度も書くが緊急地震速報は予報ではない。でも速報になって10秒から30秒のあいだ「油断なく」待ち構える時間ができたのである。この差は大きい。日本の地震研究のある時期地震の予知は絶望的という空気があったように思う。でも、その間にも予知も予報もまだ無理だけれど速報というある意味発想の転換という態勢で当面は臨んでみようという柔軟な思考を感じる。昨日の地震はどういうわけか生涯の行く先々で大地震に遭ってきてそれゆえに地震にまったく意気地のないOJISANに大きな感動を与えた瞬間であった。(v^ー゜)ヤッタネ!!

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『インビクタス』

motorsports奇跡の逆転大勝利映画かといささか冷ややかな思いで見に行ったのであるが、やっぱり感動して涙、なみだの連続だった。(OJISANは老齢で涙腺がユルイのだ)なにしろ事実がもとになっており、その中心人物がOJISANも尊敬する南ア共和国のネルソン・マンデラ氏だからである。アパルトヘイト廃止後の初代の大統領に選出されたことは知っていたし、ノーベル賞受賞や民族間の融和に努めたことは知っていたがその人間性や政治手法などにあまり関心がなかったので通り過ぎてしまっていた。急にすごいと思いだしたのは、映画「マンデラの名もなき看守」を見てからである。白人支配に抵抗して捕まり、以後30年にわたって狭い獄房に閉じこめられても豊かな人間性を失わず、しかも明るい未来を確信できるその精神構造はどうなっているのかと、自分と比較して驚嘆するのみであった。獄房に入ることあるいは死ですら使命を課せられた者に対する運命と受け止めている。このようにしてもとは平凡な人間であった人が試練を経ていつの間にかカリスマに変わっていくのである。

annoyカリスマは本来はあり得ない出来事を起こすのである。それは宗教者の特権ではない。マンデラは国民精神の統合をねらってラグビー世界大会での弱小チームの勝利を実現してしまう。凄いものだとしか言い様がない。30年も幽閉されたのち政治的に勝利すればたいてい出獄後に敵対勢力を駆逐するのが常道であるはずが、マンデラは全てを許し、取り込み、全てを味方にしてしまうのだ。マンデラは別に宗教者ではない。けっこう生臭い一面も備えているのではないかと思うが、こういう大胆な発想の転換ができたのだ。テロリストと言われ続けてきた人がである。マンデラ氏を知る誰もが彼についていきたいと思っているのに、マンデラ氏の家族関係は冷たい。あんなに人を魅了する人に家族は魅了されない。家族の歴史の中でいったいどんなことがあったのだろうか。マンデラ氏の悲しみにはOJISANも家族とはうまくいってないので深い共感を覚えるのである。

notesマンデラを演じたモーガン・フリーマンはいい味を出していた。前の晩「プレイス・イン・ザ・ハート」で若い頃のフリーマンを見たが演技力の確かな人なんだと感じる。OJISANはついダニー・グローバーと間違えちゃうんだよね。それからこの映画クリント・イーストウッドの演出なんだと今日初めて分かった。やれやれだ。それにしてもイーストウッド氏は80歳くらいでしょ。精力的です。ついでに音楽のカイル・イーストウッドは監督の息子で「グラン・トリノ」などでも音楽を担当しているが、才能とは関係なくまあ親の引きで仕事をしているのだと思っていたが、インビクタスで流れる音楽を聴いて親の引きだけではすまない力を感じた。なんてエラソーにそう思う。やさしい、ハート・ウォーミングな音楽がいい。

 

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『アバター』

freedial今日3D版「アバター」を観た。最終上映の次の特別上映というやつである。もう上映は終わっているのにもう一回やるというものである。見たいと思ったけれど見逃したから見せて欲しいという人が結構いたということである。相当に人気の高い映画である。OJISANは通常映画版「アバター」はとっくの昔に観ているのであるが、なぜ3Dを観なかったかというと昔の「飛び出す映画」の感覚が抜け切れていなくてバカにしていたからである。

 ところがマスコミ等を通じて評判が伝えられると通常版「アバター」もなかなか面白い映画だと思っていたのでついに抵抗しきれず3D版も見ることにしたのだ。やっぱりなかなか面白かった。3Dの良さを認識させるに十分だった。もはや子供時代の「飛び出す映画」を見たときの感覚とは別の世界の広がりがあった。 歳をとるってイヤなものだ。昔の感覚にとらわれて新しいものを受け入れることに抵抗を覚えてしまう。老齢になると誰にでも起きうることが自分にも起こったわけで悲しいものだ。

 この映画、映画のおもしろさの要素を全て詰め込んだような作品で通常版を見たとき絶対ヒットすると思った。侵略する側の乗り物や兵器そしてパンドラ星の自然の姿など背景となる全てをゆるがせにせず作り上げているので人物?たちの動きも自然で作り物であって作り物でなく、現実のものではないのに現実が展開されていると感じてしまう。それに加えて音響装置から発する音の迫真さ。まわりが振動する凄さでいよいよ画面中に呑み込まれているかのような気がする。ちょっとほめすぎかな。でも、最近良い映画が少ないからね。

shockただ、最後に一つだけ。あのメガネはやっぱり気になるね。これが解決されるのはいつになるだろうか。 

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『イングロリアス・バスターズ』

 クエンティン・タランティーノ監督の作品だというので一捻りのきいた戦争映画だと思い平日の午前10時上映のやつを見に行った。予想どおりガラガラで三人しか座っていなかった。やっぱりOJISANのように金はないけどヒマはあるという人は少ないのだ。

 映画の方は三捻りぐらいしすぎてOJISANが思うに駄作だ。まず、ドイツ軍占領下のフランスが舞台になっており、歴史に「イフ」はないと言うが最後にはヒトラーはじめゲッベルス・ゲーリング・ヒムラーの凶悪4人組をまとめて殺してしまうのだ。(その結果戦争は終わる)しかも最後のお膳立てはナチスの吹けば飛ぶような小悪党SS中佐がうまく立ち回って成功するという仕掛けだ。歴史的事実と全然違う結末になるので、これじゃトンデモ本かSFの世界だよ。

 ヒトラーはよく出てくるがヒゲだけがそっくりで顔、身振り、態度、声、人格全部いいかげん。(つまり似てない)ゲッベルスはヒトラーへのお追従ぶりだけが少しましで間抜けな道化師になっている。ゲーリングとヒムラーはいるだけだ。タランティーノ監督は巨匠になりすぎて手抜きしている気がする。

 手抜きと言えば、こういう戦争冒険映画はスピード感があって観客が痛快と感じることが大事な要素だ。ところが妙に会話が続く場面が長い。会話が破綻して次の激烈な撃ち合い場面に至るまでのサスペンスを盛り上げる効果と言えば言えなくもないが、ダラダラと続くとOJISANみたいな映画にカタルシスを期待する向きには、「もういいかげんにして撃ち合いしようよ?」などといささかうんざりしてくる。

 最後に残酷場面が多すぎる。たしかにナチスドイツは掛け値なしに残酷・冷酷だったし、連合国側の兵士だって勝者の隠蔽工作で表向きにはなっていないが戦争犯罪めいた行為があったに違いない。戦争というのはそうしたものだ。だが、それにしてもドイツ兵をバットで殴り殺すところを見せたり、頭の皮を剥いでみたりと残酷さをいろいろと見せてくれる。この映画では(殺すのに善し悪しはないけれど)ドイツ兵の殺しの方が人間的だよ。しかも頭の皮を剥げと命令するアメリカ軍中尉にはインディアンの血が混じっているという設定になっているのも、血のせいだとかなにかアメリカ先住民に責任転嫁しているみたいでほんの少し人種差別的な思いを持つのは考え過ぎかな。

 昔の映画だがリー・マービン主演の「特攻大作戦」のような作品を期待して見に行ったのにOJISANの後味は悪かった。クエンティン・タランティーノ監督は才能があるから、まだOJISANのような単純バカなシロウト映画評論家を喜ばせる映画を作って見せてくれるに違いない。期待したい。(それじゃ次回作もやっぱり駄作?)

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『2012』

 南米はマヤの古代文明の暦は2012年12月21日までしかないというところからこの日で人類は滅ぶことを示唆していると誰かが言い出した。最近アメリカ映画は素材不足で困っているわけで、その話を聞いてそれはたいへんだということでエメリッヒ監督が喜んで映画にした。OJISANもそれはたいへんだと思って喜んで見に行った。「ノストラダムスの大予言」のときはB級映画しかできなかったが、今回はアメリカ映画の最新技術を用いて描く大カタストロフィー映画になって、もの凄い迫力画面におどかされ続けていささか辟易したところもあるけれど愉しんでみることができた。

 従来OJISANはこのての映画を見終わると暗い気分になって、「これで自分の人生も終わるのか」とため息をつき、どういう死に方をするのかとか死ぬときは痛いだろうなとか考えながら夜道を辿るのが常であった。ところが今回は全然そんな気分はなく、「みんな死ぬんだからいつ死んでもいいよ」とばかり実に気分爽快なのだ。この違いはどこから来るのかと考えてみるとたぶん以前は若くて仕事があって、前途に多少なりとも希望があったかららしい。いまOJISANは67歳だ。ノストラダムスの大予言が当たらなくても、マヤ文明の暦がいいかげんでもOJISANはあと10数年もすれば確実に死ぬ。もうすぐだ。今になって残された人生の大目的は死ぬことだけというのでは虚無的にならざるを得ない。そんなわけでみんながいっしょに死んでくれることに爽快さを感じるというのもたぶんOJISAN特産の利己的遺伝子が大変異・大増殖しているからに違いない。OJISANは情けない男だ。前からかもしれないがいつのまにかひねくれてしまった。

 だが天命はOJISANの都合の良いようには動かない。OJISANが死のうが生きようがジタバタしようが地球や人類は2012年よりは延命する。地球温暖化が進みあと20年もすればかなりヤバイことになると思うが、少なくとも2012年よりは保つだろう。これがこれから有名になるかもしれない「OJISANの大予言」だ。

 

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長門裕之と南田洋子

 まずお断りから始めるが、有名人は一般的に敬称をつけなくて良いという場合があるそうなので、ここではそれを適用させていただく。当然OJISANは、長門裕之と南田洋子の両人に敬称をつけなくてもファンとして十分な敬意を持っている。特に長門裕之には。

 およそ一年ほど前、テレビに現れた妻南田洋子の認知症発症と闘病生活及び夫長門裕之の介護生活のドキュメンタリーはOJISANにはかなりのインパクトがあった。長門裕之は認知症の実情と介護の過酷さを広く知ってもらいたいという気持ちから積極的に映像の対象となったようだ。最初にそういう趣旨の説明があった。OJISANはそれを素直に受け止め、長門裕之は勇気があるな、有名人だから人々に訴えかける意味も大きいと思った。その思いは今でも変わらないでいる。

 確かにテレビで見る南田洋子の認知症状は劇的で、認知症になってしまった人の悲しさ、惨さを余さず伝えてくれた。そしてテレビを見た人は、南田洋子のような美人で有名人で金持ちで賢い人にも庶民である自分にも認知症は現れる可能性が十分あることを感じたはずである。そして、「かわいそうに」だけで終わらない「では、自分は、社会はどうする?」という次のステップのひとつになったと思う。長門裕之は介護の映像を見せることで有名人でも金持ちでも介護する家族の苦しさは同じだということを示した。ヘルパーさんをふたりも雇えたって心のありようは同じなのだ。長門裕之はこんなに妻を大事にしているのだと人々に知ってもらいたかったのかもしれない。同情してもらいたいのかもしれない。励ましてもらいたいのかもしれない。それだとしてもOJISANはよく理解できる。OJISANも90歳になる母の介護をして暮らしている。母は有り難いことに認知症状はないと思う。ふたりで比較的穏やかな日々を送っている。でも、ときどき世間様はOJISANが密室で老母をむごく扱っていると思っているのではないかなどと心配している。だから近所の話しやすい人には自ら母をいじめたりしていないことを冗談交じりに伝えている始末だ。介護する人間は介護される人との関係だけでなく、周辺の人々の視線が気になることもあるのである。

 週刊誌を始めとする一部メディアでは「妻の認知症を露出した売名行為」と決めつけるような報道記事があった。そして、舞台に立つため妻の臨終に立ち会えなかった長門裕之を口汚く非難する記事もあった。いずれも苦しむ人の傷口に塩を擦り込むような表現である。それでも長門裕之は有名人なのでインタビューで自分の思いを吐露(反論)することができる。普通の人々であればその悔しさをどうすればいいのであろう。電車内で見る中吊り広告の汚い文言を見るとそれを書いた人の心根の醜さが透けて見えるようである。

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OJISAN「裁判員制度」をちょっと考えてみる

pen私たちの国で8月3日から一般の人たちが参加する「裁判員制度」が始まった。新聞もテレビも連日大騒ぎである。あんまり興味がないけれど事細かに報じてくれるので読み流しでも聞き流しでも何となく頭に入ってくる。それで今朝ふと考えたことをネタ切れ気味のブログに書いてみようと思いついた。そんな程度の「裁判員制度」小論である。

 まずOJISANは「裁判員制度」による司法への一般人参加賛成である。今まで立法と行政は一般の人でもその気があれば司法の世界よりもはるかに参加する機会が与えられてきた。なのに三権分立の一つ司法だけは倍率何十倍を突破した専門家だけのものであった。主権在民の民主主義制度下ではごく普通に考えればこれってヘンなのである。重要な権力のひとつが選ばれた一握りの人々の欲しいままにされてきたのだから。

 catfaceだが、従順なOJISANは今まで何の疑問も持たず、司法に限っては距離を置きたがり、それのみか当初は「裁判員制度」という法律がOJISANを縛ってタダ働きをさせる制度と受け取っていたのである。無知も底抜けだがほかの人の司法世界の受け止め方も似たり寄ったりかも。だが、実は裁判員制度は司法権力の一部委譲なのである。権力の一部を委譲するから責任も持て!というわけである。くれるなら金の方がいいのだがうまい話はなかなかないね。

 chair司法(裁判)のエリートは裁判官、検事、弁護士である。裁判官と検事は「裁判員制度やるぞ!」という体制側だから本音はともかくあんまり文句は聞こえない。弁護士だって実力のある人はどんな状況に置かれても的確な証拠主義、透徹した弁論、立場の弱い被告を思いやる人間性で無罪を勝ち取ったり、罪の軽減を図るのである。しかし、弁護士の一部は反対、反対、ハンターイとうるさい。その理由をOJISANは意地悪く推論してみる。①オレが苦労して獲得した陣地の一角でも一般人にとられたくない。②正義の味方、唯我独尊の弁論を一般人に裁定されるのは耐えられない屈辱である。③やる気のない弁護、覇気のない弁論を一般人にさらしたくない。などであろう。

angryこういう人たちがよく言うのが「外国ではやってない(やっている)」という言葉だが今回は聞かれない。映画などで知られるアメリカの陪審制はもちろんのこと、今や英国、イタリア、フランス、韓国、(ロシアだって)など多くの民主主義国で類似の裁判制度は稼働しているのだそうだ。「一般の人は判決を下す立場の重みに耐えられない」という反対理由もあるが、それじゃ日本人だけは公共のために苦しみを分け合って引き受ける気概のない、利己主義に固まったひ弱な人々の集まりということなのか。法治主義のもとで公平、適正な判断を下す能力のない国民と言うことなのか。

 OJISANがもし裁判員に選ばれて「死刑を選択せざるを得ない」立場に置かれたなら慎重に、慎重に考えた上で死刑の選択にも組みすると思う。社会共同体の一員としての負担である。(我ながらなんてエライのだろう)決まったことに苦しまない。

 sandclock実はOJISANはひところ霞ヶ関・虎ノ門の官庁街を歩くことがあって、暇つぶしに何度も東京地裁の裁判を傍聴したことがあったのだ。面白い裁判は一つもなかった。退屈だったが怖いところではない。身近な、たしかに社会の縮図が見られるところだった。

 裁判員になるのは何百人に一人だそうだからOJISANはたぶん当たらない。当たらないと信じている。生涯くじ運は悪いのである。はたして良いのか悪いのか分からない。

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『トムラウシ』

 OJISANは山登りが好きでいろいろな山に登った。特に北海道の大雪山系は大好きだった。しかし、「大雪山」という山はない。北海道の中央に広大な山塊が盛り上がりそこに幾つもの山がさらにあちこちボコボコと盛り上がっているという形状の全体をさして「大雪山」と総称している。

 いったん山塊の上に登ってしまえば一日で主峰旭岳とか黒岳とか緑岳とか白雲岳とかだとわりに簡単に縦走できてしまう。本州のように千メートル単位で上り下りするような縦走にはならない。一日限りの登山者はロープウェーのある旭岳と黒岳に集中する。そこで満足する。だが、本当にいいのはそこから先なのだ。登山者はきわめて少なくなり単独行を好むOJISANには風の音も静寂も花の群落も全てが我が身ひとりを包むように感じられるのだ。天気のよい7月、8月に高山植物が咲き乱れ、残雪が陽光に光る山道をポックラポックラひとりで歩いていくと天上の楽園にも思われて、実にのどかな楽な山歩きに感じられる。だから夏になるたびに出かけたものだ。

 トムラウシは大雪山塊の最深奥にある。まさに絵になるいい山である。トムラウシの向こうは十勝山域になる。トムラウシには直登コースもあるが上級者向けで10時間以上かかるハードな山行になる。そんな登るだけにがむしゃらになる山行は嫌いだ。そのためOJISANが、トムラウシ方面に向かうときはロープウェーで黒岳に登り、白雲岳避難小屋に泊まり、翌日高根ヶ原をのんびり歩き、忠別岳避難小屋に泊まり五色岳から化雲平を通ってヒサゴ沼避難小屋に泊まってと三泊もかけて、それなのに翌朝目の前のトムラウシ山には登らなかった。疲れていたからである。OJISANは単独行でこんな山奥で動けなくなったり、怪我をしたらヘリコプターで運ばれるはめになることが怖かった。そんな恥ずかしい立場には絶対なりたくなかった。OJISANはきわめて用心深いのである。臆病なのである。OJISANはヒサゴ沼から同じ道を辿って引き返した。

 以来、五色岳、化雲平までは何度も行ってそこからトムラウシの山影を堪能したが登ったことはない。もうこれから登る機会も体力もない。OJISANにとってトムラウシは登りたかったけれど登れなかった永遠の山になったのである。

 7月17日トムラウシで中高年ツアー登山者8人が死んだ。みんなOJISANと同年輩である。なんとトムラウシ山行経験のない登山ガイドに連れられて屠所に引かれる仔牛のように死んでしまった。天気が悪いから自分は止めたいと言えなかったのだろうか。「山で死ぬのなら本望だ」と言い残した人や「歳だからこれが最後」と言って登った人もいたというから悪い死に方ではないが残念だ。OJISANのように登れなかった山が一つや二つあっても良いではないか。それが山屋のロマンだと考えても良いではないかと思う。

 立派なメタボ中高年のOJISANはいまウォーキングに励んでいる。今朝はトムラウシと死んでいった人たちのことを考えながら歩いた。

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『ターミネーター4』

movieアーノルド・シュワルツネッガー主演の「ターミネーター」から4作目。そもそもこのシリーズの最初の作品について言えば、ともすると無機的になりがちなS・F映画であるにもかかわらず登場する人間(人類)の心情を巧みに描く意外性にOJISANは惹きつけられたのである。

 特にターミネーターの攻撃から生き残ったサラ・コナーが未来の人類の希望である子を身ごもり、愛する人を失った悲しみとともに強く生き抜いていこうとする最後のシーンの哀切感にOJISANは強い衝撃を受けた覚えがある。サラ・コナーを演じるリンダ・ハミルトンは表情だけでその全てを表現していた。そこには従来のアメリカン・サイエンス・フィクション・ムービーにはまれだった豊かな人間精神が表されていたのでOJISANはごく自然に感情移入ができたのである。長く記憶に残る場面だった。この最後のシーンだけで「ターミネーター」が単なるアメージングの「ロボットもの」映画となることを免れたと思っている。「ターミネーター」の最後のシーンは多くの人々のこころに訴えるものがあった証拠に、悲しげなサラ・コナーの写真がシリーズの毎作ごとにチラッと示されるのだと思っている。

 2作目まではまだ良かったが、3・4作目になるとその叙情性は失われてしまいだんだん作りが派手になってきた。それとともに機械的世界が展開してゆき、果ては(演じられる)真正人間さえも人間離れしていく。期待したものとはかけ離れた異和感で終わるのである。

  

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介護でつぶれないための5つのヒント

 昨年の12月のブログ記事を最後にOJISANは消息を絶ったがこのたび復活することにした。記事を書かなかったのに深い理由はない。怠け病に罹ったのである。なんかメンドクサカッタ、それだけである。

 OJISANが老母の家に通って3年、引き取り同居して2年介護しているうちに介護の世界も変わってきた。特徴的なことはOJISANのような中高年男の老親介護が脚光を浴び始めたことである。5年前の介護の担い手イメージは一般的に娘とか嫁など女性たちであり、男が介護しているなんていうのは親の弱みにつけこむバカ息子の危険な家庭内暴力とか介護はおろか生活維持のノー・ハウも持たずオタオタと振る舞うバカ息子のイメージが先行していて、母を介護してますなんてうっかり言えない雰囲気だった。ところがいつのまにかOJISANのような状態の中高年男が増加して、もはや家庭介護者の5人に一人は息子とか夫なんだと。状況は気味が悪いほど風雲急を告げているのだ。新聞やテレビでもそうした実情を伝える報道が多くなってきている。ご同輩が多くなって喜ぶべきか悲しむべきかそれが問題だよ。ウィリアム君。

 男の介護者もトクなことがあるのだ。母を車椅子に乗せて歩いていると見知らぬ女性が挨拶してくれたり、微笑みかけてくれたりするのだ。誉めてくれる人もいる。もうそれだけで母の迷惑顧みず毎日のように車椅子で連れ出す。なにしろ今まで女性に笑われても微笑みかけられたことなんかなかったもんね。願わくばもっと若い女性であればなおさらにいいんだけど。それにケア・マネージャーさんもヘルパーさんも男の介護はなにも分からないだろうと懇切丁寧だし、親切に対応してくれる。だから知っていることでも分からないふりをする。OJISANがいちばんモテるのは母の仲間たちからである。出会ったりすると「・・・・さんいいわねー。息子さんにめんどうみてもらって・・・・」とOJISANの顔を憧憬のまなざしで見つめるのである。母は実態も知らないで、と舌打ちしている。

 こうして何年か実体験を積み重ねているといくらボンクラOJISANでも「介護の心構え」みたいなものが固まってくる。最近OJISANなりの介護の心構えをまとめてみた。みんな新聞記事やテレビや介護本からの受け売りであるがOJISANのこころを癒してくれるには十分である。この5つがいまのところ我が心を助けてくれるのだ。

smile介護でつぶれないための5つのヒント

①自分の時間と健康を大切にし、自分のQOLを保つ工夫をする。              

②「介護の意識」から離れる時間をつくり、人に頼る勇気を持つ。              

③できるだけの努力はするが、「完璧な介護」など存在しないと思う。            

④したいことがあれば「介護が終わってから」ではなく、いますぐ始めてみる。

⑤「介護」で悩んでいるのは自分だけではない。

 

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『ドリームズ・カム・トゥルー』

 最近レンタル・ビデオ店に面白い作品が入らない。お目当ての「ホット・ファズ」は新作だからすでに借りられてしまい棚にない。しかたがないのであれこれ物色して、たぶん癒し系だろうと考えて「ドリームズ・カム・トゥルー」(原題名 Akeelah and the BEE)というのを借りた。完全に暇つぶし用である。ところがOJISANにとってはこれが意外にあたりものだった。感動した。

 アメリカ映画で、どんなストーリーかというと、簡単に言えば11歳の少女がスペリング大会に参加して全国大会で優勝するという話である。こういう大会は日本にはない。英語は表音文字文化であり、全部で26文字しかない。各単語が26文字の組み合わせでできているのはご承知のとおり。余計な話だが、むかし学校で英語を習い始めた頃はたった26文字だけとはなんてラクなんだろうと無知きわまりないことを考えていた。それがのちのち果てしなく続く英語学習地獄めぐりの始まりだったのはたぶん多くの皆さんも同じであろう。

 日本語の文字文化の中心は表意文字すなわち漢字である。一文字ずつ意味とともに覚えて行かなくてはならない。それは始まりであり加えて日本文では平仮名、カタカナ、ローマ字(ご丁寧に訓令式とヘボン式まである)も組み合わせて構成される。その煩雑さたるや日本語は「悪魔の言語」だと西洋人のだれかが言ったそうだがまったくナットクできる。それに比べてアメリカ人は幼児のときから英語をしゃべる。その口から出てくる音をそのまま26文字で表せばいいはずなのだが、各単語は固有の「つづり」がある。超難解な単語であれば20文字ぐらい当たり前のようだ。一文字でも間違いは間違い。意味まで変わってくる。アメリカの中学生以下の国語学習目標のメインのひとつはいかにたくさんの単語の「つづり」を正確に身につけるかにあるようだ。優等生の条件のひとつである。OJISANはアメリカではつづり方コンクールの全国大会まであることを映画「ドリーム・カム・トゥルー」で初めて知った。

 そういえば、つづり方大会の話は不朽のアメリカ文学「トム・ソーヤーの冒険」にまで描かれていた。大好きな女の子の目の前で、学校の「つづりかた大会」でズルをするトム・ソーヤーの大失敗が描かれるほどに「つづり方大会」(Spelling BEE)はアメリカの歴史と文化の華なのだ。・・・・・・つづり方を題材とした文学・演劇・映画は多数に上るに違いない。「綴り字のシーズン」という映画もあった。この映画はなんとリチャード・ギア様が主演なのだ等々知ったかぶりの半端なウンチクをあれこれ書いて非常に疲れた。身に付かない無理はしない方がいい。

 飛躍した話になるかもしれないが、なぜ日本の学校教育では全国規模でこれに類することをやらないのだろう。スポーツの全国大会は山ほどあるのに。ここ十年漢字検定を行う団体が活動してきてようやく定着してきたと思ったら検定の収入が大きすぎて創設者の理事長が団体を私物化してしまいなんか漢字の勉強も汚された雰囲気になってきた。アメリカの「spelling BEE」のように日本版「漢字大会」も野球やサッカーに並ぶくらい文化系イベントの「華」になってもいい気がするんだけれどね。

 

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『井伊直弼の首』新潮新書

 著者は野口武彦氏。副題に「幕末バトル・ロワイヤル」とあって主題の井伊直弼のことばかり記述した歴史評釈(歴史評論?)ではない。むしろ井伊直弼出現に至る幕末の諸現象と人間模様をバトル・ロワイヤルとして捉え、評釈を加えた本と思う。ただ全ては井伊直弼のクライマックス(桜田門外の変)に収斂されていくのでどうしても主題は「井伊直弼」になる。

 著者は幕末の政治・経済・社会・人間の動きについて特に新奇の説は唱えない。斜めにも構えない。もちろん裏読みもしない。事象の定説に忠実であるから安定感がある。ただ、もろもろの事変や登場する歴史的人物についての記述に当時の名も無き人々の実見談、感想記を引用、多用しているのでちょっと横から見ている気分を感じる。横から見ているだけで事実は変わらなくても歴史というのはこんなにも変わって見え、ある意味生き生きとしてくるものなのかと思うのである。歴史はこんな風に楽しくなくてはいけない。「幕末バトル・ロワイヤル」の副題は実にいい。

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『靖国』

 見たいなー。でも、見たくないなー。と思っていたが、レンタル・ビデオ店に「靖国」DVDがあったので借りてきた。中国や韓国の人々は「靖国神社」と聞くとこころがささくれるだろうが、OJISANはそんなでもない。しかし、製作監督が戦争当事国(被害国)の人となれば例によって被害者意識まるだし。加害者非難オンパレードだろうと勝手に想像してしまってOJISANのこころは見る前からささくれるのである。ついでに書けば、このドキュメンタリーは日本の文化庁から制作補助金が出ているそうで、よりによってなんで絶対問題になりそうな微妙なテーマに補助金なんか出すんだよ。いつものとおり「問題先送り」「波風立たず平穏無事に」という官僚の常識を発揮しておけばいいのになんて思っちゃうのだ。そう思うOJISANもどうしようもない根性の持ち主だと思う。とにかくこころがヒリヒリするかもしれないDVDだと思うので冒頭のような感想になった。

 それで見たけど、そんなに問題になるようなドキュメンタリーではないと思った。「靖国」と「外国人監督」の掛け合わせというだけでちょっと過剰反応。騒ぎすぎ。まあ、ふだん「靖国神社」にはクール(というか 無関心)な日本人も国内的に問題含みな点があることを感じていてこんなことがきっかけでちょっとこころが騒いだのかも。一時上映反対だの妨害だのということになったがあれはまだみんな見てないうちの想像の結果だった。だから見た人から順番に双方の立場からの反発も非難も熱が冷めて行った。騒ぎになったから宣伝になってより多くの人が見たかと思うと妨害騒ぎが嫌で上映を取りやめた映画館もあるからプラスマイナス・ゼロがOJISANの予想だ。レンタル・ビデオ店のDVDもたった一枚しか置いてなかった。たった一枚だよ。こんなのだれも関心ないんだよ。ある意味今の日本人て情けない。

 映画は、靖国神社に参拝する人々の心情を意外に丁寧にとらえている。一部アナクロニズムそのものの人物もいてバカバカしいというか笑っちゃうんだが、いつもいるんだよ。こういうのが。庶民はちゃんと分かっている。自分は弾の飛んでこないところや立場にいて、終わると自分一人で戦争したような顔で出てくるやつが。逆の立場で、「自分はこの戦争は負けると分かっていた。」とか「自分は反対した。」とか言うやつ。全部うそつき。この戦争では死んだ人間だけが本物だ。非難されるべきはKYで負ける戦争をした戦争指導者たちだ。南太平洋でアッツ島でフィリッピンで硫黄島でその他各地でまじめに、真剣に戦って死んでいった人々が祀られる靖国神社にOJISANは反対ではない。妻の父が沖縄戦で戦死したという個人的理由もある。

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『大統領の料理人』KKベストセラーズ

 book 副題に「厨房からのぞいたホワイトハウス11年」とあって、1994年から2005年まで、ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフを勤めたウォルター・シャイブの回想記である。

  シャイブ氏は、ホワイトハウスにおいてクリントン及びブッシュの両大統領に料理人として仕えた。なかでもクリントン時代を懐かしく回想している。なぜならシャイブ氏はヒラリークリントン夫人に面接され、その結果採用されたからである。野次馬のOJISANも含めて読者としてはホワイトハウスにいたと言えばまず語ってもらいたいのは、ホワイトハウスの政治の秘密と主人たちのスキャンダラスな生活の暴露である。特にクリントン大統領はその種の話題を豊富に作り出したことが知られているので期待していた。しかし、この本でシャイブ氏が徹頭徹尾語るのはホワイトハウスでの料理であり、料理にまつわるホワイトハウスの内情である。シャイブ氏は冒頭で「自分は政治には世間並みの知識・興味しかない。住人のプライバシーも語ることを好まない」と書いて読者に引導を渡している。

  最初の宣言のとおりシャイブ氏は、大統領とその家族の内情は書かない。書くとすればほほえましいアメリカ型スィート・ファミリーの側面だけである。その意味でシャイブ氏の人柄の良さが分かる。たぶんヒラリー・クリントンの採用条件には「口の堅さ」も入っていたのであろう。この本の面白いところはホワイトハウスで作られた料理のレシピが紹介されていて、あなた達にもホワイトハウスで出され、「大統領と家族の食べているものと同じ料理が食べられますよ」という配慮がなされていることだ。これもたぶんシャイブ氏の人柄によるものと思う。また、シャイブ氏は自分の仕事を書くだけでなく、自分の家族のことも暖かく、何気なく書く。これも家族を大切にするアメリカ人を体現していて好ましい。

 9:11のときのホワイトハウスの緊迫したありさまも書かれている。ホワイトハウスの管理責任者や警備担当者でなく、一従業員の目で見た混乱の観察であって、内部の危機管理が実際はどうであったのかよく分かり興味深い。でもホワイトハウスでは緊急の際にはみんな地下の秘密基地に避難するのかと思っていたらそうじゃなくてバラバラに外に逃げ出すなんて面白くも何ともない。なんとかしないと一度あることは二度あるよ。油断大敵run

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『なぜ君は絶望と闘えたのか』・・本村 洋の3300日・・新潮社

 光市母子殺害事件の公判があるたびテレビのニュースに取り上げられる本村 洋さんの発言を聞き挙措動作を見ていた。そして、家族愛と正義の名において厳格な法の裁きを要求する論理と姿勢をOJISANは本当に立派だと思った。この人の考え方や姿勢をつくったのは残念ながら妻と子を殺害され、犯人を裁く裁判の過程が大きな要素となっていると思うがそれだけではあるまいという思いがあったのでますますこの人は何者なのか知りたかった。

 この本を読んで分かったことだが、本村 洋さんは高校時代から人生を変えるほどの病気と戦ってきていたのだ。OJISANであればそれだけでそうとうメゲた生き方をしただろうが彼は立ち直っただけでなく妻子を殺され、理不尽と思われるような司法による犯人擁護と戦う力まで蓄えるに至った。しかし、それは結果論で本村 洋さんは鉄の男ではない。絶望して死を考えたことも幾たびかあったようだが、周囲が彼の絶望を癒し、支えたからこそ力を蓄えたとも言える。少なくとも本村 洋さんには周辺の人々が彼を支えてあげなければならないという思いに駆られる人間的魅力があった。

  徒手空拳に近い本村 洋さんの戦いが人間的で雄々しいものだったのに対して、いわゆる司法の専門家たちの動きは空疎だった。裁判官の犯人に対する形式的な人間把握、専門性の感じられない相場主義の判決、そして、なかでも信じられないような弁護士の弁論は、従来の「弁護士は正義の味方」という期待を裏切るものだ。ある時点から弁護士たちは完全にしろうとの本村 洋さんに負けていた。弁護士たちには、勝つためには極端に事実をねじまげ詭弁を弄し、死者を冒涜するがごとき弁論も許されるのだとする傲慢が見え見えだった。大目的は被告を死刑から救うことだったためだと思うが、この事件公判の経過が影響したことは確実で日本の死刑廃止運動はかなり後退したものと思う。それとも、あの弁護士たちは「死刑制度のかくれ支持者」で死刑制度を維持するためその活動は被告の命をかけた高等戦術だったのだろうか。

 

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もう遅い

pencilOJISANのブログは自分の等身大にふさわしい日常の思いつきをポツポツと書くことが目的だ。だから政治とか経済とか地球とか世界とかの話題は大きすぎて本来無縁と思ってきた。しかし、最近の気候変動のニュースやら食料、資源問題などの報道を読んだり見たりしているとどうもでかすぎるなんて言ってられない気分だ。この地球に生きている60億分の一人としてこの先生き死にに関わる変動が起きているんじゃないかという(不吉な)予感がする。しかももう誰も止められないという予感だ。しろうとの予感だから自前の何の根拠もない。もしかしたらおどろおどろしい報道に惑わされて怖がっているだけかも知れないとも思う。それでも5年後に(生きていれば)この一文を読んでOJISANの予感がはずれていることを願って書き付けておく。

 今日から洞爺湖サミットが始まった。一番二番の議題は、地球温暖化と食糧問題だそうだ。両者は絡み合っており食料の増産減産は地球気候に左右されることは素人でも分かるから結局地球温暖化が一番の問題だ。北極の氷が溶けたとかアメリカやオーストラリアの干ばつとか中国内陸の砂漠化とか世界各地の天変地異が生の映像で人々に届けられ、これを見るとただごとじゃないと思う。身近な生活実感でも豪雨が頻発しているし、雷も多い。やたら暑いしなんか変だと感じることが多くなった。

 なのに、世界では自国の利益を優先してお互いに譲らない。明らかに自分の国土や気候もおかしくなっていると分かっているのにである。サミットに偉い人が集まっても合意事項は玉虫色で具体性がはっきりしない。地球人類の努力よりも温暖化の方がずっと先を行っている気がする。もう戻れないぐらいだ。100年後には地球平均気温が何度か上がって海面が6メートル上昇するなんて予測があるけれどそのころ人間はどうしているのだろう。そのころ人類は絶滅していると予測した方がいいと思う。海面が6メートル上昇しようが人はいなくなっているのだからかまわないのだ。意外と人類絶滅の進行は速いのではないか。50年後にはCO2を現在の50パーセント減らそうなんて相談しているけれど人類も50パーセントは死滅しているに違いない。地球崩壊に向かって動き出した自然はそんなに甘くないと思うよ。

 ただ、権力も金もない人間たちにも(非常に後ろ向きの)救いはある。追いつめられるのは自分たちだけではない。核戦争なら生き残る権力者や金持ちもいるかもしれない。しかし、二酸化炭素は平等にじわーっと迫ってくる。だれも防御できない。避けられない。そしていったん地球に充満した熱とガスは永遠と思えるほどの年月減らない。生き残って酸素ボンベを背負った生活など何の意味があるだろう。熱い地球のどこに住むというのか。生き残れば生き残るほど苦痛の生活が待っており、おのれも含む人間の愚かさを思い知らされるわけだ。

 こんな子供じみた書き方で予測をしたが、生きていれば5年後にはOJISANは70歳になる。そのとき自らの文章を読み、地球がもっとおかしい状態であればすぐ分かる。仮に悪い方向に向かっていてもOJISANは滑り込みセーフだ。人類絶滅の前に死んでしまえるだろう。それまでこの成り行きをしっかり見守ってみよう。予測が甘いだろうか。自分勝手すぎるだろうか。

 

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